国家の利益のために国民は泣けということか

 「新幹線訴訟」という言葉を記憶している方も多いと思います。岐阜県の「桜ケ丘9条の会」のブログに名古屋新幹線公害訴訟について弁護士の高木輝雄氏が書かれた文章が掲載されています。

 この中に作家の大岡昇平氏の言葉が引用されています。

名古屋新幹線判決下る。これまでの賠償の支払いを命じ、将来の慰藉料を認めない変な判決。騒音振動差し止めも、新幹線の公共性を強調して棄却、各地への波及の危惧をいう。現地住民が現に困り、乗務員同情して減速し、乗客は少しぐらいのおくれはかまわぬ、といっているのに、裁判官のみ高速性に公共の利益を認む。理屈に合わないこと、日本社会全体に波及せんとす。高速移動は全国民の要望には非ず。新幹線は申すまでもなく、赤字国鉄の最高の黒字線、公共の福祉とは、すなわち国鉄の利益、ひいては国家の利益のために国民は泣け、ということか。裁判所がこのような法理にて作動する以上、末端に鬼頭、安川の如き、おかしな判事の出現は必然とす。( 『成城だより』文芸春秋 ※注)

 1980年台のはじめにはすでに、「大きいことはいいことだ」、「速ければ速いほどよい」という社会的な風潮への反省があったわけです。特定秘密保護法や、原発を重要電源と考える方針などとともに「速ければ速いほどよい」の権化のリニア新幹線も実は古臭すぎて時代に合わないものだと思います。裁判所でさえおかしな法理に基づいて作動しているのに、あるいはときに国会もおかしなことしてきたのに、いかに合理性のない事業計画であったとしてもリニア中央新幹線について一行政機関の国土交通省が適切な判断ができるとは。われわれが甘かったといわざるを得ないかもしれません。

 しかし、まだ工事の認可は出ていないのです。「ただし、時間的には」ということで終わらせないようにしないといけないと思います。

※注 『成城だより』は雑誌『文学界』の1980年の1月号から12月号まで連載された大岡昇平氏による日記を単行本としてまとめたもの(昭和56年3月5日、p187)。1980年9月11日の日記。

(2013/12/09)