中川村での道路測量説明会(6月16日)

 上伊那郡中川村でJR東海による住民説明会が6月16日にありました。この説明会は「主要地方道 松川インター大鹿線(県道59号線)における測量および地質調査に関する説明会」です。南アルプスにトンネルを掘るための斜坑口は大鹿村に4箇所予定されていますが、残土の処理場所を大鹿村内に設定することは地形的に無理なので、村外に運び出す必要があって、その場合どうしても中川村内の県道59号線を使うことなるので、多数の工事車両の通行のため道路改良の必要があるので、そのために測量と地質調査を中川村村内で行うのでその説明をするというものでした。

中川村の説明会の様子を伝える『赤旗』の記事 (東濃リニア通信)

 中川村内にはリニア中央新幹線の施設は予定されていないので、方法書や準備書などのJR東海による説明会は、中川村では一切開かれたことがありません。準備書の送付もなかったそうです。昨年(2013年)秋の大鹿村でのJR東海の説明会で、中川村村長が、多数の工事車両が通過し迷惑をかけるのにアセスメントの説明会を中川村で開かないというのはおかしいと指摘していました(大鹿村での準備書説明会 10月14日)。

 この説明会はJR東海が開催したもので中川村とは基本的に関係ありませんが、説明会の開始時間まえに中川村の村長から話がありました。内容はこれまでのJR東海と村との話し合いの経過報告でした。今回の説明会では道路改良にともなう測量に関したことだけでなくリニアについてのいろいろな心配なことなどにも答えてくれることをJR東海に了解してもらったといっています。環境対策などで地元とまず協定を結ぶべきという話もしています。中川村村長の住民の生活を守るという姿勢は非常にはっきりしていると思います。飯田市長の牧野さんは見習うべきだと思います。

 大方の予想ではルートが通るといわれていたのに、直前にルートから外れた高森町の準備書説明会の、町職員のほっとして力の抜けた表情や、会場の閑散として緩んだ雰囲気とは大違いでした。

 というわけなので、測量に関連しての質問よりは、他地区の準備書説明会で住民から出されたような「リニアに対する基本的な疑問」がかなりでました。準備書も含め、こういう「リニアに対する基本的な疑問」は、もしこのリニア計画がこれまできちんとした検討を経てゴーサインが出たものであれば本来出ないはず。2011年の建設主体指名の前のパブリックコメントでも大多数が建設に否定的でした。民間企業なら何でも自由にできるかといえばそうではなく、広範囲の自然環境に、また地域住民の生活環境に長期にわたって悪影響を与える事業、そして国全体の交通体系に関わるような事業については国や自治体によって制限が加えられなければならないはず。しかし、国土交通省の審議会はまともな論議をしていなかったのです(『リニア新幹線 巨大プロジェクトの「真実」 』、p183-192)。もちろん国会での論議もなかった。つまり、こういう計画が今の日本に必要なのかというまじめな議論がまったくなされずにきています。

 こういう経緯がある以上、JR東海がこれから開く工事説明会においても、相変わらず同様の「リニアに対する基本的な疑問」が住民から出されるはずです。

 喬木村から豊丘村を経て大鹿村に至る部分のトンネルをまず完成させてから、大鹿村内でトンネル掘削に着手するようにすれば、残土の搬出路の問題はなくなるだろうという意見がでました。伊那谷で開かれた準備書説明会でこれまでにも住民から出されたものです。JR東海自身が大鹿村内の工事ではこれと同じようなやり方を計画しています(そのため斜坑口の数が多くなっている)。これに対して、JR東海は、喬木と大鹿の間の工事に10年はかかり、工期が非常に延びてしまうので不可能と答えていました。

 順調にいったとしても、2045年完成、これから30年後のことです。コンクリートの寿命を70年と考えると、完成して約40年後には路線の老朽化がはじまるはずです。そして補修は従来の鉄道に比べ困難と思われます。JR東海の山田社長が語ったように、当然収益は見込めないのですから、70年後には営業終了、廃線になると思います。といって土被1400mにもなる南アルプス直下の廃トンネルをそのまま放置してよいのかどうなのか・・・。各地に残る地上の高架部分や橋梁はどうするのか。

トンネルにも寿命がある:開通から70年……山陽本線関門トンネルの“寿命”が近づいている (杉山淳一の時事日想 2013年07月12日)

 ドイツはトランスラピッドの実験線を撤去するそうでです。グーグルマップの航空写真で見るとほとんど平坦な田園地帯に実験線はあって、建設も撤去も比較的しやすい場所を選んだのだろうと思いました(実験線は住居から最低でも50~100m程度離れた位置に建設されている)。日本の山梨実験線はほとんど後戻りのできない格好で作ってしまったといえるかもしれません。リニアはハナからお馬鹿な計画だったといえるでしょう。その旗振り役が葛西名誉会長だったということです。中止してはエリートとしての沽券に関わるという気持ちでこんな事業計画をやられたら、国民は迷惑です。

 大鹿から搬出される残土は、中川村の渡場(どば)まで来て北に走って村の中心部を通って153号線にでるか、渡場の橋を渡って松川町(ルートや施設は予定されていない)の繁華街で153号線にでるか、松川町から宮ヶ瀬橋を渡って豊丘村(ルート予定地あり)にはいるのか、今回測量をするといっている小渋川沿いだけの問題ではないようです。

 会場は満員でした。

(2014/07/05)