私たちの漠然とした心配こそが一番大事

 「リニア中央新幹線 南アルプスに穴を開けちゃっていいのかい?」 というブログがあります。リニアの反対運動をしている人でも参考にしている方が結構いるのではと思います。評価書について大変詳しい考察をしているブログなのですが、最近掲載された次のページにはちょっと待てよといいたいです。

 環境アセスへの対応だけが反対の仕方ではないし、法制度が不完全なこと、事業の決定過程がまともでないことなど、反対の取っ掛かりとなるものはいろいろあるわけです。そして大体において知識の点で権力に対して反対派は劣勢です。歴史的にそうなっているから当たり前なのです。だから結局は数を頼むという面が必ずある。とすれば、いろいろな不完全な主張とも手を携えなければ反対は力を持ち得ないと思います。そのあたりのことがほとんど理解できていないのが大きな欠点だと思います。

 意図が十分正しく通じる説明方法が、常に精密詳細正確で、科学的、実証的で網羅的、悉皆的である必要はないです。リニアを考えるとか反対するとかの土台は基本的に政治の範囲です。それは住民の意思反映とかそういうものも含むのですが、「懸念」、「心配」というようなものが発言の理由になってかまわないし、それを無視しては民主主義とか安心で安全な社会は成り立たないと思います。「懸念」、「心配」を解きほぐすのは一般的には行政や事業者側の責任と考えるべきですね。JR東海だって言葉だけとしても説明会では住民の理解をいただくように努力するみたなことをといっている。反対運動はそういう「懸念」や「心配」を第一の足がかりとすべきだと思うし、実際に成功例も失敗例も含め歴史的にもそうだったと思います。運動のなかで科学的な考察とか実証的な調査や検証が必要になってくるのは当然です。

 反対運動のリーダー格の人々の説明方法に問題があるなら、まず第一番にそれらの人々に直接に意見を述べればよいと思います(注)。おそらくこのブログ主さんは科学的、実証的、論理的な考察能力に優れた方であって、そういうことを指摘する資格がある方だと思います。もちろん、指摘するには、相当のエネルギーがいる場合だってあると思いますが、もし、そういう過程を踏まずに※のページのようなことを述べているのであれば、それこそが、リニア反対運動の足を引っ張るものだと思います。このブログ主さんは本当にリニアに反対なのでしょうか。やや疑問を感じます。

注:インターネットで発言するということは、そこまでの責任があると私は思います。

 福島原発事故の現状をみれば、また大飯原発についての福井地裁判決からしても、原発は止めるべきなのです。しかし、いまだに、脱原発派のいっていることが科学的におかしいといっていっている人たちがいます(鼻血の問題など)。このブログ主さんがリニアに対してそういう立場に回ることがないようにと思いますね。「ことの本質」はいくら詳細精密であっても科学的、理論的な説明だけで理解できるはずはない。科学的が声高に叫ばれる今の社会のなかで、現場で「何かおかしい」と感じて声を上げるということは非常に尊いことで、大切にしなければならないと思います。田舎のおじさん、おばさんたちが勇気をふりしぼって説明会で発言された意見のなかにだって、このリニアの問題の「ことの本質」をしっかりとらえたものがあることを忘れるべきではない。所詮科学はひとつの道具に過ぎないと思います。

(2014/07/16)

(2014/07/19) ちょっと補足すると、それぞれ自分が関心があって詳しい分野というのは人それぞれだと思います。特にこのリニア、非常に広範囲にわたっていろいろな問題を引き起こす可能性がある。自分の考え方だけが唯一正しいと思うのはどうかしていると思います。ましてその考え方を他の人に押し付ける意味はない。結論としてリニア反対であれば実際の行動ではできるだけ協調するのが良いのではないかと思います。インターネットというのは奇妙な影響力があると思います。正しい論理的な思考、科学的な思考、公平な思考を追い求めるがゆえに結論が出ない、答えがでない、結果きちんと意思表示ができない。そいういったことですね。

 このブログ主さんの意見は、震災後に結局脱原発批判に陥った「疑似科学批判派」が飛びつきそうな内容だと思います。そして、これらの疑似科学批判的な考え方というのは、不注意な人は意外に簡単に引っ掛けることができる。つまり、リニアのアセス批判で始まって、リニアの反対の主張は科学的でないということをいい始める。そういう危険性を感じました。

 このブログ主さん、あるいはコメントを寄せた同調者の方は、これから反対の主張が根拠としている専門家の説明のすべてを検証してみようと考えているようです。

 いろいろな集会や講演会に参加していろんな人のお話を聞くと、いろいろと巧みな言い方で(良い意味で)リニアに批判的な意見を述べる方々がおられます。人の意見を一方的に聞くというのも、得るところが大きいと思います。

 自分の関心事について詳細にネット上で論することは良いことだと思います。ただし、それがすべてと思わないこと。

(2014/07/22) 新たに次のページを掲載したようです。

 評価書の自分の居住地に関連する部分を読んでおくのは確かに重要だと思います。しかし、リニア反対運動の声の大きな方々が読む価値がないとおっしゃるのは、読んでがっかりしたからでしょうね。そこへもっていって、見ず知らずのブロガーがちゃんと読めといってもそれは単なる失礼に過ぎないでしょう。確かにリニア反対運動の組織はインターネットの使い方が上手とはいえません。しかし、ネットでいくらかでも情報発信していることはプラスであるし、ネット利用が下手なことがリアル社会での方策も駄目という意味ではない。こういう問題はネットができる前からあったのですからね。ネットだけでの情報発信に長けていたとしても現実に反対の意志を持っているほかの人々と交流しない、したくないという姿勢はちょっと変じゃないかと思います。ただし、読みやすく人を引き付ける文章とか、簡潔明快に理解できる正確な内容を提供できるなら、そういうあり方もあってよいでしょう。しかしこのブログはどうでしょうか。少なくともこのうっとうしい文章を読む気になる人は少ないと思いますね。

 このブログは、環境大臣の意見書も国土交通大臣の意見書も異例のきびしいものと評価しているのですが、2011年5月の工事主体指名前のパブリックコメントの結果の無視をみても、国土交通大臣の言動をみても、第一安倍内閣の方針をみれば、認可は既定と見るのが常識的な判断だと思います。反対するにはその先のことまで考える必要がある。評価書に拘泥しているだけでは話にならないと思います。おそらく反対運動のほうが、このブログ主さんやブログの支持者の考えているよりはずっと先にいっていると思います。

 だから、東濃リニア通信を書いている方、このブログに書かれていることを気にすることはありませんよ。交流範囲の広い東濃リニア通信の執筆者さんの情報のほうが、何百倍も役にたっていると思います。