大宮の鉄道博物館はリニアとは無関係
アーサー・ビナードさんという詩人、翻訳家、エッセイストがリニアについて講演(※)をしました。ユーチューブで聞くことが出来ます。ただ、ごくはじめ以外の、はじめから17分あたりまではほとんどがすごい雑音だけが聞こえて講演内容は分かりません。
「現場力」などキャッチフレーズ的な言葉で分かったつもりになっているという話は面白いと思います。「リニア」という言い方もその一つだと思うとのこと。JR東海が売り込もうとしているアメリカでは日本で知らされているほどリニアに関心がないという話は大事なことだと思いました。
ミッドウェー海戦で太平洋戦争の決着は付いていたのだから、また、東京でも皇居や国会などは爆撃されなかったことなどから、東京大空襲、広島と長崎の原爆は後のベトナム戦争や核戦略のための実験であったのではないかという見方は面白いけれど、経験を活かすということは普通のことですから、実験であったという見方は変かもしれません。連合軍の占領政策は途中で転換したというのが定説だったと思います。アメリカの場合せいぜい8年で政権が変るので何十年にもわたってこういう物騒な具体的な計画を政府なり軍が継続することは不可能だと思います。一貫しているように思える歴史的事実の裏にあるものは何かということですが、それは物質的な基礎、資本主義経済の運動法則だと思います。
第2部で、リニアの原理についてリニア市民ネットの懸樋さんが説明する場面がありましたが、ビナードさんとの掛け合いが上手くかみ合わずにあまり正確とはいえない説明になっていたのは残念です。
ちょっと気になったのは、神田にあった交通博物館が大宮に移ってリニアの名を冠するようになって残念だというビナードさんの言葉。多分、JR東海が名古屋に作った「リニア鉄道館」と勘違いをしているようです。JR東日本の関連の東日本鉄道文化財団が運営する大宮の鉄道博物館はホームページで見る限り「リニア」関連の展示はないか、少なくとも目玉にはなっていないようです。そして、そのリンク集をみて驚きました。「リニア鉄道館」はのっていません。JR西日本関連の京都にある梅小路蒸気機関車館などはのっているのに。リニアやJR東海はなんか仲間はずれ状態の嫌われ者みたいですね。
昭和30年台から50年台くらいまでは飯田線自体が鉄道博物館みたいでしたが、のちに中部天竜駅に佐久間レールパークというのができて、戦前に関西で活躍し戦後は飯田線で使われた「流電」など保存展示していて結構人気があったようです。「流電」だったかどうか記憶があいまいなのですが、当時住んでいた最寄駅に快速がはじめて停車するようになったとき、たぶんこれが飯田線最初の優等列車だったと思いますが、子供から大人まで快速電車のお迎えに行ったことがありました。残念ながら、佐久間レールパークは近いところにあったためにいつでも行けると思っているうちに名古屋にもっていかれました。秘境駅などとならんで飯田線の目玉だったのに。
大宮の鉄道博物館の展示の「原理仕組み展示」の「(2)ものを楽に運ぶ工夫はなに?」なんかは、鉄道の圧倒的な効率のよさを教えるもので、こんなことを「偏見」としてしっかり覚えている私にとってはリニアの持ち上げて運ぶというやり方は許せません。鉄道の本質はスピードではなくていかに「楽に運ぶ」かだと思います。だから、JR東もJR西もリニアには関わらないのでしょうね。
JR東海って稼ぎ頭で優等生なのかも知れませんが、JR東やJR西にくらべるとなにかわかってないなあという感じがします。
(2014/10/16)