リニアは「もう決まったこと」ではない
5月10日、喬木村で喬木村9条の会の総集会で前阿智村村長の岡庭一雄さんが「憲法が生きる地方自治〜満蒙開拓から学ぶもの〜」と題して講演をしました。
喬木村はリニア新幹線のルートにあたります。リニアは村の霊園の直下をくり貫いたあと、阿島地区の集落を高架橋で分断します。阿智村では路線は全てトンネルで通過しますが、リニアの工事が観光業や住民の生活に与える影響が心配されていて、岡庭さんの提案した村独自の社会環境影響評価が行われています。
前半は各地で話されたのと共通の内容が多かったです。話の最後の部分に新たな内容と思われる部分があるのでメモしました。
- 満蒙開拓民は、棄民と言われる。一度は、それぞれの村に棄てられ、もう一度は関東軍に棄てられ、帰国後は自ら行ったのだからと元の村へ入れてもらえないこともあった。
- 大下条村では村長が満蒙開拓に積極的でなかったので犠牲者が非常に少なかったというように、自治体の首長の考え方の違いで住民の幸、不幸が決まる典型。
- 長野県の当時の満蒙開拓の責任者の開拓課長は西沢権一郎だった。西沢氏は戦後長野県知事を長く勤めた。満蒙開拓の研究者上条氏は日本人は戦争の問題を真剣に反省し、2度とあってはならないと昭和20年にスタートしたのか疑わしいといっている。憲法に9条があることは大きいが、地方自治が盛り込まれたことが最大の良かったこと。
- 憲法を活かさなくてはならない場所は地方自治体という領域。9条を守れという運動はなされているが、われわれは自治体のなかで本当に憲法を生かすという努力をしてきただろうか。
- 現在の首長、議員が憲法に地方自治が盛られた意味と、地方自治の本旨というもの、目指すべきものをどれほど理解しているだろうか。さらに、それを選ぶ住民自治の主体である住民が理解しているだろうか。その点がこころもとない。
- 選挙演説で、自治体は地域最大のサービス産業であるから当選の暁にはかゆいところに手の届くようなサービスをさせていただきますというようなことをいう候補者がいる。あるいは○○村役場は住民と対等平等の立場で仕事を進めたいという候補者もいるい。これらは一般的に民主的と解釈されるかもの知れない。
- 戦後の地方自治の本旨は、住民自治と団体自治。その地域のことは住民が決め実行することが住民自治。住民自治を守ること、住民自治をほかの団体から干渉されないことが団体自治。
- アメリカが戦後改革の中で使っていた言葉は「民主自治」。民主主義と自治を一体化した考え。しかし、日本人は「自治」という言葉を知らなかった。「地方自治」という言葉しか知らなかった。「民主自治」は英語ではセルフ・ガバメント。つまり民主主義というのは自主政治。住民自治の原点は住民が統治する主体者であるという考え方。また統治する主体であると同時に、統治される客体者でもあるということ。
- 「民主主義」と「自由」については戦後の政治的指導者や戦後の教育には偏った考え方がある。「封建主義」に対する「民主主義」、「統制」に対する「自由」ととらえるている。民主自治=セルフ・ガバメントという考え方からすると、基本的人権を守ることが大事になる。基本的人権を守るというのは、自分と同時に他人の基本的人権を守ることが民主自治の考えのなかにある。自由については、他の人の自由を犯さない範囲でわれわれの自由はあるべきというのが民主自治の原点。
- 民主主義は最大多数の最大の幸せ、多数決で決定して実行していくのが民主主義と考えがち。少数派は無視してもよいだろうか。民主主義では統治の主体者になる場合も客体になる場合もある。いつの時代になってもすべての人の基本的人権が守られる仕組みを作っていくのが自治の仕組みと考えるなら、安易に多数決は使うべきでない。
- 資本主義社会は階級社会だから当然利害対立がある。経営者も労働者もいる。そういう中で全ての人の基本的人権を守るのが村=統治している住民の責任とすれば、とことん皆が理解できるところまで話し合いをして一応妥協ができたところで事が進まなくてはならない。
- 住民自治、住民自らが治めること自主政治(セルフ・ガバメント)は、自分達が汗を流し知恵を出すということが原点だが、それが出来ないので、公務員を雇い、村長、議員を選挙で選び、「代わって」自治の行政をやってもらうというのが住民自治の実際。スイスの例のように、世界では、6000人位までの人口なら直接民主主義が行われることが多いといわれる。住民が直接に決定に責任を持つ。日本の場合、600人や300人でも村会議員を選出して決めるというのは、明治以来の地方行政の流れの中にあるものだといえる(※1)。本来の民主自治の考えからすれば適切かどうか問題があると思う。
- 住民が委託しているのだから、住民と行政は対等ではない。住民が基本的人権を発揮できるよう手伝うために行政はあるのだから、村長や首長を住民はやめさせることができる制度になっている。だから、マニフェスト選挙はおかしいと思う。住民自治の活動の環境を作るのが首長の最大の責任。
- 政策まで委託する、多数決の論理によると、リニアについて賛成のほうが反対より多いからそれを実行するというのでは反対している人の人権は無視されたことになる(※2)。リニアに賛成の人も反対の人も自由に議論をして、この喬木村にはリニアをどのように迎えるのか、反対の人も賛成の人も話し合いをしてこういう形で迎えようじゃないかということを作るのが役場の委託機関としての役割。
- スーパーマーケットに例えると、どういう品物を揃えるのか決めるのは住民。首長が揃えたものを安く買いに行くというのは住民自治ではない。実は住民自治は住民が非常に骨が折れるものだが、それが憲法が指し示す方向。
- それぞれの地域のさまざまの問題を具体的にどのように実現させていくのか、住民が自分達が出来る力を出したり、汗を流したりして進めていくのを、手助けするのが委託機関である行政の責任。
- 議会は議案について議論する中で、何が問題なのか、決定すべき住民に分かりやすく説明する、住民に分かりやすき議論をするのが最大の使命。そうやって住民に十分に理解してもらってから、住民の意向を反映して、全ての住民の基本的人権が守られる方向を決めていくというのが住民自治の本来のあり方。それが憲法がわれわれに課している地方自治という課題。
- これが全国津々浦々で行われているとすれば、日本が戦争は出来っこない。防衛庁が喬木村に来て徴兵名簿を作ったりすることは出来ない(※3)。住民自治が確立されておりさえすれば、戦争はできるはずがない。たとえ9条を改正してもできっこない。だから、なんとしても地方自治の問題を真剣に考え、本当の住民自治を確立していくことが、今われわれに一番求められていること。
- 近くでこういう話をすると、なぜお前はそうしないのかといわれるので話しにくいが、あえて今日は話させてもらった。
岡庭さんの話に照らすなら、リニアの問題は住民が十分理解できるまで説明されていないし、関係する自治体で十分論議がなされたわけでもありませんから、リニアの工事が認可されたということは、住民自治という憲法が指し示す方向に合わないことは明らかです。
リニアに不安を抱く人でも、「決まったことだからもう仕方ない」とか「そこのけそこのけお馬が通る、JR東海はお殿様だから反対できない」とかいう方がいますが、リニア計画は国の段階でもきちんと論議されていないし、直接被害をうける自治体の議会でも論議されていないのですから、つまり「決まってはいない」のですから、あきらめる必要はないと思います。今からでも文句を言いましょう。またリニアは開発過程において、異論にも耳を傾けた十分な研究がなされたわけではないといえると思います。
ついでにいうと、リニアの害を極力減らして、よいところをとるという言い方をする、特に議員さんや首長がいますが、血を流さずに肉を切り取ることは出来ないはずで、そういう秤にかけるような議論は、基本的にどこかおかしいと思います。たいていの場合、害を減らす、無くすことに重点を置いたほうが実利的だと思います。
リニア中央新幹線建設促進期成同盟会という組織が幅をきかせているのですが、住民自治という考えからみて正統性があるとは思えません。昭和48年から活動してきてリニアは悲願だとは言っても、リニアによる生活破壊、環境破壊が現実に迫ってきている現在でも、心底から「悲願」という人は飯田下伊那に何人いるでしょうか。
※1.小さな町や村の議員で住民の声を聞こうとしない、議会報告をしない、おのれの家の名誉と思ってやっているような連中がいるのは困ったもの。
※2.リニア推進で中心的な立場にある飯田市は、自衛官募集に関連しては自主的に適格者の名簿を自衛隊に提出している。
※3.飯田市議会のなかでは議員はリニアについて自由に論議することは禁じらているように見えます。リニア問題ではないが、議長と考え方の違う議員に対して議長が公的な席で嫌味をいうようなことが、自民極右支持派が牛耳る議会ではないでもない。
参考:西沢権一郎氏の責任 ⇒ 長野県 > 知事会見(平成25年(2013年)4月19日(金曜日) 14時00分〜15時00分 県庁:会見場) の「6 満蒙開拓平和記念館について」
(2015/05/13)