「光と影」と「覚悟」

 基準地価が発表された9月16日の翌日の『南信州』に不動産鑑定士の寺沢秀文さんがコメントを書いています(4面「総体として下落緩和傾向にある当地方の地価 リニアによる地価への影響はまだ不透明」)

 このコメントの中で飯田下伊那地域がリニアを活かすことができるかについて、非常に厳しい見方を示しています。


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 当地方の自治体の首長たちは、何事にも光と影はあるけれど、リニアの利点を最大限生かして弊害を最小限に減らすようにするなどといっています。影という言葉を出すのはまだまともな方で光の部分ばかり語る人のほうが多いです。建設が現実味をおびてきて、びっくり仰天な問題が出てきて、最近はテンションが下がり気味のどっかの村長さんもいますが。寺沢さんのコメントは、それは甘いんじゃないですかといっているように思えます。

 寺沢さんの言っている「覚悟」というのは何か? 事実に基づいて予測すればこうなるという分析結果について、「お前はリニアに反対か。どうして水を差すんだ。」という反応をする人たちは、結局のところよく考えていなのではないか。そもそもリニアが本当に地域にとって必要なのかというところまで考えなおしてみる必要があるというのが「覚悟」の内容だと思います。

 寺沢さんは、一方では「満蒙開拓平和記念館」の専務理事をやっておられます。戦争中、当地方が全国のほかの地域に比べ多数の移民を満州へ送り出した背景は、従来言われてきた経済的な困窮よりは、町村や信濃教育会の働きかけによる政治的な圧力が大だったことがわかってきています。農村の困窮がもっと厳しかった東北地方のほうが移民は少なかった。

 単純化していうと戦争だって光の部分と影の部分があって、たとえば財閥なんかは戦争で資産を増やしたわけです(敗戦直後解体されて結局現在は事実上復活している)。戦争で国が負けたとしても、戦争をすることに意味があると思う人もいないわけではない。リニアが無目的であって、どんな弊害があったとしても「建設すること自体に意味がある」と考える人もいるでしょう。そういう人と地元の人びとが重なるわけじゃない。国策といわれてきたもの、いわれるものの本当のところはそういうことじゃないか。リニアの建設目的は二転三転しています。使うことでなく作ることだけが目的だからそれで通るわけなのではと思います。

 リニアで東京がもっと繁栄すればおこぼれが来るかもしれない、というのが当地方の指導者たちの考えではないでしょうか。

 寺沢さんは、不動産鑑定士の専門家の見方で述べているのですが、飯田市にはリニアという事業の成否について専門家として判断する適任者がまだほかにいたはずです。それは牧野光朗飯田市長です。飯田市はリニアの事業自体の成否の判断についてこんな考えを示しています。「覚悟」とは程遠いと思います。

なお、寺沢さんは、以前に、もう少し柔らかい表現ですがリニアの地域への経済効果について書いています(長野県不動産鑑定士協会の研究成果というページの「リニア中央新幹線」並びに高速交通網と地価 (PDF:4.23MB))。

(2015/10/07)