「東濃リニア通信」さんがリンクを張ってくれましたが、タイトルが「『リニア自治体議員懇』『リニア建設予定地現地視察・長野』」なっています。「南信リニア通信」の筆者(私)は議員さんたちと行動を共にしたわけではありません。釜沢の手前の斜坑口付近と、たぶん電力変化所予定地付近以外は議員さんの見学場所とは異なっています。議員さんたちの方がより広範囲を視察しています。こちらをご覧ください。

久しぶりに大鹿へ行ってきました

 7月30日、久しぶりに大鹿へ行ってきました。今回は生田の福与から岩洞(がんどう=県道22号線)を通っていきました。最初に行ったのは釜沢の三正坊橋の近くのリニアの斜坑口(非常口)の予定地。昔、釣り堀があったところです。以前あったゲートがなくなっていました。


写真1

 少し先に進んだところ。右に人工的な斜面が見えます。これは建設残土を積み上げたものだそうです。


写真2

 残土の先の方。この写真の右側あたりに釜沢の手前の斜坑口が出来るはずです。


写真3

 釣り堀の跡。建物や池が残っていて、現在、解体中でした。


写真4

 リニア沿線自治体のリニア問題に関心のある議員さんたちが現地視察にあがってきて住民のかたの話を聞いていました(参考)。


写真5

 釣り堀の横あたりの小河内沢川の川底。


写真6

 さらに奥に進んでいくと。


写真7

 流れの向きを右にかえた小河内沢川の川べりに出ました。川に渡してあるパイプは対岸に流れ込んでいる小さな沢の水を釣り堀まで通していたものでしょうか。


写真8

 上流側を見ると大きな石が2つ並んでいます。左の岸の斜面に赤い杭が見えています。


写真9

 これがその杭。


写真10

 岸を登るとこんな感じ。右の木の根元に注目。


写真11

 こんなことになっていました。杭には「JR」「釜」の文字が見えます。


写真12

 こんな大きな石がところどころにあって・・・


写真13

 だいたい平らな場所が広がっています。


写真14

 上の写真を写した場所の反対側。この辺りから急な斜面になっていて、この辺にもう一つの斜坑口ができるのだと思います。


写真15

 写真2の残土を、写真11~14の場所にもって来てまず工事ヤードを造成するらしいです。そして、斜坑口から出てきたトンネル残土を写真2の場所に仮置きするんだそうです。

 次の写真は、釜沢第3堰堤の記念碑の少し先から小渋川の上流方向を撮影。


写真16

 写真の中央部を拡大。左岸に少し平らなところが見えます。ここが釜沢の一番奥の残土の仮置き場になるようです。


写真17

 ここも残土の仮置き場の予定地。手前右のコンクリートの箱はJR東海が以前に水平ボーリングやった場所。山の中腹に釜沢の集落。


写真18

 パイプから出ているのは水平ボーリングをした穴から流れ出ている水。


写真19

 JR東海の上蔵の電力変換所(変電所)の予定地の対岸の様子。これは、鳶ヶ巣崩壊地(赤ナギ)の最下部にあたります。


写真20

 上蔵集落のビューポイント付近から見た鳶ヶ巣崩壊地(cache)。山の地肌が見えているのは今でも少しずつ崩れ続けているからなのでしょう。万が一この崩壊地が大崩壊をして対岸の変電所が被害を受ければ、一部の列車が南アルプストンネルや伊那山脈トンネル内で立ち往生するはずです。そんな大災害の時に救助隊が青木や釜沢や上蔵の非常口まで来れるとは思えません。


写真21

 崩壊地と電力変換所の位置関係が良く分かる国土交通省が出している画像を見つけたので掲載しておきます。地元の説明会のなかでも住民から危険性を指摘されています。


( 出典=「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」、国土地理院・地図空中写真閲覧サービス・[1](1976年09月15日に撮影されたもの・整理番号CCB7615・コース番号C17A・写真番号13)より作成 (ファイル:鳶ヶ巣大崩壊地周辺.jpg)) ※図中オレンジ色の部分が電力変換所の予定地。なお「小渋温泉」は「信州小渋温泉 赤石荘」。大鹿発電所の位置はもう少し北東と思います(赤矢印)。正確な撮影時期が不明ですが、最近の様子 ⇒ Googleの航空写真

 上蔵の電力変換所(変電所)の予定地。大鹿では少ない平たん部です。


写真22

 養魚場もあります。


写真23

 電力変換所(変電所)の予定地の上流側に県企業局の大鹿発電所があります。その右の山の斜面(崖)に上蔵の斜坑口ができる予定。


写真24

 左の建物がJR東海の大鹿出張所。


写真25

 上青木、しもくれおど橋と東くれおど橋の間の斜坑口(写真左手)と残土仮置き場の予定地。ここもすでにリニアとは関係ない建設残土が置いてあります。


写真26

 中央構造線博物館と「ろくべん館」の横の残土の仮置き場予定地。画面右の方に昭和36年6月に大西山が大崩壊をした痕が見えます。


写真27

 大西公園そばのグランド。ここも残土の仮置き場、または処理場所(かさ上げに使用)の予定地。


写真28

 小渋ダムのダム湖の水位が下がったので、昔の松除橋は吊り橋でしたがその両岸の柱が見えました。赤いのは新しい松除橋で、往路はこの橋を右から左方向へ渡りました。ダム湖の底にみえる松除橋は路線バスがやっと通れる狭い橋でした。右側の出口がほとんど直角でバスの運転手さんがここを巧みに曲がるのを感心していたものです。


写真29

 大型車のすれ違いが難しい四徳大橋。



写真30・31

 四徳大橋の大鹿よりすぐそばにあるトンネル。


写真32

 残土運搬のために写真の中央付近に新しいトンネルの松川側の出口ができる予定。手前の手すりは四徳大橋。


写真33

 順序が逆ですが、このトンネルの大鹿側の出口の予定の場所。滝沢トンネルの中から撮影。


写真34

 四徳大橋を飯田側にわたってじきの場所。ここにも新しいトンネルができる予定。


写真35

 そのトンネルは小渋ダムの入り口近くに出てきます。


写真36

 今まで気が付かなった石碑。これは昭和22年ごろにあったバス転落事故の犠牲者のために建てられたもの。


写真37

(2016/08/05)