「ここまで」そして「ここから」
1月12日、用事があって、大鹿へ行ってきました。
リニアのトンネル残土を大鹿から運び出すための県道改良工事。小渋ダムそばの新たにつくる西下(仮称)トンネルの掘削がはじまっていました。
重機の2本の腕の先に作業員が各1名乗っています。手前の真っ白が何か変ですが、これはヤードの柵です。
最初の写真の矢印の場所に行こうとしたらこんな看板がありました。
矢印から見下ろしたヤードの様子。
掘削している重機。
腕が一本の似た機械がもう一台。
緑の円筒形のものには「住友大阪セメント」と書いてあります。コンクリートミキサー車がありますが、当地方の生コン業者さんのものではないようです。茶色の建物のシャッターが降りている部分。左から「砂」、「砂」、「砂利」と書いてあります。
左の黄色い看板に注目。「四徳渡トンネル入場車輛は ハザードランプ点滅」。矢印の岩のすぐ向こうに、県道の四徳渡(仮称)トンネルの工事ヤードの入り口があるので、追突事故防止のためか、ではなく、この辺りで入場を待ての意味だったら渋滞の原因、事故の原因になるかも。ヤードの入り口の位置や入る方向に問題があるかも。
このあたりの山は花崗岩が多いのでしょうか。崩れて転がっている岩のかけらは花崗岩のようでした。
四徳渡(仮称)トンネルの工事ヤードの入り口外から中を撮影。色が違いますが似た重機がありました。掘削する方向が違っているような気がしますが、警備員さんに聞いたらまず予備のトンネルを掘るのでこれでいいんだそうです。
松除。「県道59号線」の標識の「終点」の反対側には何んと書いてあるのか?
これがお役人の感覚なんでしょうね。「ここまで」と「ここから」でいいんじゃないですか?
鹿塩の方へ車を走らすと村長選の選挙ポスター掲示板(下原)がありました。西下トンネルと四徳トンネルができた時点で、本線トンネルに手付かずのまま、リニア計画が頓挫すれば、現職の柳沢さんの大手柄です。
前方、鹿塩地区の中心部。
昔は、手前の字原(あざはら)橋を渡り、右に見える鹿塩橋を渡って鹿塩の中心部に入りました。鹿塩橋は映画『大鹿村騒動記』の一場面の撮影に使われたそうです。
落合のダムとオンベ。
上蔵のリニア本線の斜坑口の工事ヤード。丸印の緑色の部分を・・・
横から見るとこんな感じです。ここを掘り始めても、残土を置く場所がない。もちろんまだ掘削は始まっていません。
工事ヤードの対岸は水墨画のような風景。
ここも何かの残土を積み上げた場所のようです。
昨年末にあった崩落個所を復旧中。場所は作業員宿舎やJR東海の大鹿出張所より手前。というのは、大河原の中心部(下市場)寄りということです。
崩落部分の上の方。木が根こそぎ倒れています。
下市場の152号線
下市場の152号線
村長選の合同個人演説会の会場(大鹿村交流センター)。私は大鹿村民ではないし、もちろん選挙前ですから、演説を聞いた感想は書かずにおきましょう。
県道のトンネル工事(※)も24時間体制。こんな音がしています。録音場所は掘削機械から約50m。2分30秒付近で路線バス(マイクロバス、下り坂)が録音機のすぐわきを通ります。周囲に人家はなく、直接届く音です。かなりの音です。
※ このページ、最初の写真と同じ、西下トンネルの現場です。
県道改良の2つのトンネルの工費は約60億円、長野県が25億円、JR東海が35億円を負担。リニアの品川・名古屋間の工費は5兆5千億円。5兆5千億円の端数の5千億に比べれば60億は少ない数字ですが、大鹿にとっては非常に巨額です。以前、大鹿からの帰り道で、救急搬送中の救急車が追い越すように道を譲ってくれた事がありました。つづら折りの道路ではスピードを出せば患者の容態に影響が出るからでしょう。かなりのノロノロ運転で走っていました。リニアに関係なく道路改良が必要と思う気持ちも無理ないことと思います。必要なのは救急医療体制の整備ですから、道路改良が即というわけでもないともいえるのですが。
いずれにしても、JR東海のリニア計画はまったくの準備不足、杜撰な計画だと、何度大鹿にいっても感じます。
このページのタイトル "「ここまで」そして「ここから」"。井上陽水『東へ西へ』と関係ないわけじゃありませんって、わかりますか? 深く考えないように。
(2017/01/15)