日向山ダムと本山残土置き場、どちらが大きいか?

印刷用PDF『本山更生会の残土置き場』 (2017/03/14 追加)

 この写真では本山更生会の残土置き場と日向山ダム(砂防ダム)がいっしょに写っています。


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日向山ダム。

豊丘村観光ホームページ:虻川渓谷・ダムの紅葉

 同じ縮尺で面積を比べてみました。


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 日向山ダムは虻川の本流にあります。残土置き場は日向山ダムの下流に流れ込む支流、サースケ洞の上流部になります。どう見ても残土置き場の方が大きいです。こんなところに残土を置いたら日向山ダムを造った意味がないのではありませんか?


画面クリックで拡大。左上は天竜川。 (きちんとした図に差し替えました 2017/03/07)

 日向山ダムより上流の流域面積の方が明らかに大きいです。ダムの容量は上流の面積を反映していると思うのですが、このダムの容量より多いと思われれる残土がダムより下流に置かれるというのはなにか変です。さらに下流に大規模な砂防ダムが必要になるのではないでしょうか。なんとなくマヌケな話に思えるんですが・・・。

(2017/03/06、2017/03/07 一部補足)


大西公園との比較

 2月20日に豊丘村の伴野区、虻川が天龍川に合流する付近の住民の方たちが残土置き場についての学習会を開きました。そのとき学習会を企画された方が130万立米という量は昭和36年の大災害で崩落した大西山の跡地の大西公園と同じくらいと話されました。この方は大鹿村のご出身で、当時、大西山の崩落を間近に目撃されたそうです。

 『新 砂 防』(Vol.39,No.1(144) 昭61.5.)「<大 崩壊 シ リーズ-6> 大西山の大崩壊」(井良沢道也)によれば、「大西山の崩落土塊は約320万m3にも及び, 崩落土の排除は, 膨大な土砂量のため, 排除に莫大な費用を要することから, 大鹿村の災害復旧の中でも最後まで取り残こされていた。昭和37年1月「排土173万m3, 査定額8億8333万円,崩落土の下の耕地復旧を含めて約9億円」という予算をもって工事が着工された。」そうです。現在の大西公園のおおきさ(かさ)は大体147万立米となるので、130万立米のかさがどれぐらいか想像する参考になるといえるでしょう。

 日向山ダムや本山の残土置き場と同じ縮尺の大西公園の航空写真(Googleマップより)です。赤線で囲った部分が崩壊した土砂が残されている部分だと思います。



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(2017/03/07 追記)