トランスラピッドの1985年の広報映像
トランスラピッド・インターナショナル社が20世紀のおしまいころに、売り込みのためにトランスラピッドを紹介する映像を作っていました。ユーチューブでそのいくつかを見ることができます。今回は、1985年制作の、今でいうならプロモーションビデオ。
- 1.Transrapid - Promotional Film of the German Maglev Train (1985) (英語)
- 2.Transrapid - Werbefilm der deutschen Magnetschwebebahn (1985) (ドイツ語)
この2つは、ほとんど同じもののようです。1が英語、2がドイツ語。登場するのは TR-06 型。上海で走っている TR-08型 より二つ前のモデル。エムスランド実験線を2両編成で走っています。
(1分)
(1分14秒)
車体の下半分は1両について4つの部分に分かれたカバーがあります。次は車庫から出ていくところのカット。ガイドウェイは車庫内では2本のレールに分かれているようです。
(1分30秒)
車体下の浮上用コイル。
(1分46秒)
吉田欣二郎さんという方の「西ドイツの磁気浮上式鉄道の開発動向」(『電気学会雑誌』106巻2号)の40ページに TR-06型の足回りの解説があります。吉田さんの解説図解を参考にすると、コイル6個が1組になった電磁石が1つの台車に4セット、サスペンションで取り付けてあります。1両の車体に台車が4つ、これもサスペンションで取り付けてあります。鉄道の車両で言えば、片側に4つの車輪がついた台車が4つついているみたいな感じですね。ムカデみたいです。
実験線のモニター画面。
(2分13秒)この当時、モニター画面右側(南側)のループは未完成。
乗降りは普通の鉄道と同じ。
(2分46秒)
広い室内と大きな窓。
(3分05秒、3分15秒)
乗車中の当時は西ドイツのワイツゼッカー大統領(1984年~1994年)。超電導リニアに乗車中の安倍晋三さんと比べてはいけませんよ。
(3分14秒)
比較的、簡単な仕組みの分岐装置
(3分33秒)
ガイドウエィを抱え込む構造。
(6分29秒)
運転席もあります。
(3分42秒)
実験線を田園地帯に建設したので、「環境にやさしいよ」みたいな映像だって撮影できました。
トランスラピッドインターナショナル社はジーメンスとクルップがつくった会社(1982年設立)。クラウス・マッファイ、メッサーシュミット・ベルコウ・ブロム(MBB)、ティッセン・ヘンシェルも参加しているといっています。
これが、1985年に制作された広報用の映像です。
大人と子供の違いかな?
MLU 001型 の模型。山梨県立リニア見学センターにて。
国鉄の超電導リニアはまだ宮崎実験線の時代で、1980年にガイドウェイが逆T字型からU字型に変わって 1980から1982年に製造された MLU 001型で試験走行していたころです。TR-06型が製造されたのは1983年で、1987年に全体が完成するエムスランドの実験線は、まだ南端の半径1㎞のループがない時期です。次の表は、TR-06型 と MLU 001 の比較です。
トランスラピッド TR-06 | 超電導リニア MLU 001 | |
---|---|---|
車両の長さ | 54.2m 2両編成 | 28.8m 3両編成 |
車両の幅 | 3.7m | 3.0m |
車両の高さ | 4.2m | 3.3m |
空車重量 | 102.4t | 30.2t |
積載荷重 | 20.2t | 2.4t |
最大総重量 | 122.4t | 32.4t |
座席数 * | 192人 | 32人 |
最大駆動力 | 85kN | 153kN |
到達最高速度 | 412.6km 1988年1月 | 405km/h 1987年1月 |
Ralf Roman Rossberg 著、須田忠治 訳『磁気浮上式鉄道の時代が来る?―世界の超電導・常電導・空気浮上技術』(電気車研究会、1990年、p109、p115)による |
* 1人当りの目方は、トランスラピッドでは、105.2kg。超電導リニアでは、75kg。
宮崎実験線では、1987年から1990年まで間に14件のクエンチが起きていました(※1)。上海のトランスラピッドと超電導リニアを比べて、「技術レベルで見れば、超電導と上海の常電導は“機械とオモチャ”ほどの違いがあることは間違いありません」(※2)と発言した方がいますが、実用的な交通機関として、すでに1980年代後半には、トランスラピッドは超電導リニアのはるか先を走っていたのではないかと思います。