更新:2018/12/20

大鹿の工事のようす

 12月15日、大鹿村交流センターで中山間地の地域づくりを考える学習会があったので、大鹿へ行って来ました。学習会の前にリニア関係の工事の様子を見てきました。

釜沢・三正坊

 三正坊付近のグーグルの航空写真です。①と⑦と②は釜沢では田んぼが作れる唯一の平らな場所。工事現場や残土置き場は、こんなふうに上から丸見えなのに、このあたりでは、工事現場の外側からカメラを向けると写真を撮らないようにと注意されることがあります。①と②は3年間の仮置きですが、搬出先がいまだに確保できていません。釜沢の人たちはなし崩しに置きっぱなしになるのを心配しています。


⑩も残土仮置き場。すでに長野県企業局の発電所建設の残土が置いてあります。⑪の釜沢斜坑工事ヤードは土地の嵩上げをして造成。そのために⑩の残土を使うという話を聞いたことがあります。
上は、2008年の水平ボーリングの跡(⑧)から。左側のねずみ色が①、右側の白い囲いが②。山の中腹に釜沢集落。少しカメラの位置が違いますが、2016年のようすが下。
①の残土置き場。金毘羅様(⑥)のある小山の上から撮影。谷間に残土の海が出来たようです。
6月頃だったか、この小山に登ろうとしたら、ガードマンに声をかけられ、無線で責任者に許可をとってもらって登ったことがありました。
②の残土置き場。今年の春ころまでは資材置き場でした。左の石が金毘羅様(⑥)。
左が①、右が②の残土置き場。⑥から撮影。①と②の間に道路があります。この道は河原に降りるのに必要です。JR東海はこの部分にも残土を置きたいと言っているようです。国交省は河原に降りる方法を確保するようJR東海に指示したそうです。下に拡大写真。
遠方に黄色い重機のアームが見えるところが⑤の旧荒川荘跡。
航空写真の③。少し残土を使ってるようです。ここには以前、砂防関係の工事事務所があったと思います。
小河内沢の対岸⑨から旧荒川荘跡
ほぼ同じ位置から、2013年11月の様子
⑤の旧荒川荘跡の残土置き場。中央に小さな岩山があります。
遠方の左に②、右に①の残土の山が見えています。さらに、ここに残土が置かれると、一帯が残土だらけとなります。
絵にかいたような環境破壊だと思います。
ボーリング調査が行われていました。
これは、地滑りか何かの測定機器。
ボーリング調査と測定機器の位置関係。
荒川荘の出入口からも、①の残土置き場が見えます。
冬季なら、三正坊橋の上(④)から砂防堰堤越しに除山斜坑ヤードが見えます(円内)。

赤石公園線

 赤石公園線は道幅が狭く険しい谷の途中につくられた道です。ここを大型車が頻繁に通行するのは無理です。この道で残土は運び出せないので、除山斜坑のすぐそばの釜沢斜坑から上蔵の小渋川斜坑の間のトンネルを先に完成させて残土の搬出に使うとJR東海は言っています。
左の暗い部分の約200m下を小渋川が流れています。この少し先の日向休付近の険しい谷をリニアは橋梁で渡ります。斜面が崩壊すれば大事故になるはずです。

上蔵・福徳寺

右に新しい道路が出来ています。大型の工事車両を通すためです。景観が随分変わりました。

小渋川斜坑口

初夏と比べて左側に残土の山が増えているようです。
発電所側から見たところ。あまり変化は見えません。ベルコンからヤード内の残土仮置き場に落ちる残土の音がシャリシャリと聞こえました。
ダンプカーの横に破砕機のような機械がありました。
小渋川斜坑の残土仮置き場の対岸はアカナギの一番下の部分になります。なにか雰囲気が以前と違うと思いました。よく見ると斜面にパイプが何本か設置してありました。
この下の川岸にトンネル残土を積み上げる計画があります。このパイプが計画に関係あるものか治山事業の一環なのかは分かりません。
これは5月に撮影。拡大してもパイプは見えません。

青木斜坑口

ようやく準備工事が始まったところといった感じでした。
5月4日の様子。反対向きから。(拡大)
現場事務所と作業員宿舎

大西グランド

かさ上げ工事が始まっていました。弓道場などが無くなっています。

迂回路仮設橋3

増水する季節が終わって工事が再開された迂回路の仮設橋3