更新:2020/09/28

現実は空想より現実的

 高速鉄道で時速500㎞が必要と考えるなら、磁気浮上式と鉄道とどちらが良いかという議論もあるのかなとは思います。しかし、当たり前なんですが、現実は空想より現実的だと思います。

 今から4年前の2016年の国際鉄道見本市のイノトランスに出品された3つの高速鉄道向け車両の内で、最新の2つは最高速度が250㎞、ドイツの一つ前のタイプのICE3をトルコ向けに改装したものが320㎞。おなじころ登場したドイツの最新型ICE4は250㎞。やはり同じころ日立がイギリスに輸出したのは225㎞でした。保線費用ほかのコストを考え合わせると、社会的には鉄道は250㎞程度のスピードで十分だということだと思えます。

(参考)『東洋経済』2016年9月20日 "世界の高速列車のトレンドに発生した"異変""

 2018年のイノトランスでは、開会式のあいさつで、仏アルストムのアンリ・プパール=ラファルジュ最高経営責任者(CEO)が「もはや最高速度などは誰も口にしない。どれほどクリーンな電車を出せるかが重要だ」といっています。

(参考)『日経』2018年9月21日 "鉄道車両も環境シフト 独シーメンスや仏アルストム 蓄電池駆動や水素燃料"

 リニアについての賛否の議論で、磁気浮上式鉄道でなくても、鉄道だって、フランスのTGVのように500㎞超のスピードは実現できるみたいな意見も出るんですが、現実の鉄道業界では実際はそんなことはもう問題じゃなくなってしまった。鉄道業界の世界的な潮流はそうだというしかないと思います。そんなことよりは環境問題が重要なんだと。

現実が求める信頼性

 もうひとつ。超電導磁石は、鉄道でいえば、車輪の役目をするのですから、安全のためには鉄の車輪と同等の信頼性が必要です。鉄道の専門家からみると、超電導磁石の信頼性は低いというのが一般的のように思えます。たとえば、『北山敏和の鉄道いまむかし』「超電導磁石」。筆者の北山さんは宮崎実験線に勤務した経験もある鉄道技術者。超電導磁石には冷凍機が不可欠です。

 冷却機器の電気冷蔵庫は各家庭でほぼ故障もなく使用されています。これは5~10度程度の温度に下げるものなので、機構も簡単で大量に造られているので製品も安定しています。それでも故障は皆無とはいえず、また停電があれば止まります。
 リニアの超伝導磁石は鉄道の鉄車輪に相当しますが、鉄車輪が壊れて脱線したということは今まで全くありません。
 鉄車輪は冷蔵庫よりも遥かに信頼度が高いから、鉄道は安全な乗り物になっているのです。(『北山敏和の鉄道いまむかし』"超電導磁石")

 信頼性(=安全性)について、交通政策審議会中央新幹線小委員会の第7回(2010年8月30日)で、井口雅一東京大学名誉教授が、超電導リニアは素晴らしいものなんですよと説明するために、ちょっとどうかなと思える、フェイクに近いような発言をしています。引用します:

 鉄道の一番の弱みは脱線です。車輪が破損する可能性というのは、高速になればなるほど大きくなります。ドイツでは、高速列車が車輪の破損のために大事故を起こしました。これは左側です。また、新幹線は車輪の外周にたった4センチの高さのフランジというものを設けて、これでレールに引っかかっているわけです。ですから、地震のときにちょっと飛び上がれば、これはもう脱線は避けられません。ところが、リニアでは車体が溝の中にすっぽりおさまっている形をしておりますので、いわゆる脱線ということは起こりません。鉄道技術者にとって、脱線というのは本当に困ったといいましょうか、どうにもならない技術の弱点なんですが、これから逃げられるというのは大変うれしいことです。また、乗客にとっても大変安心なることだと思います。 "(PDFの3ページ目)

 引用のなかで井口さんが「左側」といっているのはスライド資料の4枚目(下図)

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(画面クリックで拡大)https://www.mlit.go.jp/common/000122674.pdf より

 井口さんが例に出しているのは101人の死者をだした1998年のドイツのエシェデでおきたICEの脱線事故。この事故の原因になった車輪は新幹線なんかに使われている鉄だけでできている車輪とは構造が違っていました。乗り心地の改善のために一部にゴムが使われていました(下図)。非常に特殊でほぼ唯一の事例を一般化しています。委員に対して間違った印象操作を行ったといえるかも知れません。信頼性という点で、審議会で専門家の見解としてこういうことが語られていたのです。

image一番外側の鉄のリングが鉄の一体型に比べ変形し易く金属疲労する。低速の路面電車では使われているようです。

(参考)『失敗知識データベース・失敗百選』 "高速列車ICEの脱線転覆 【1998年6月3日、ドイツ ニューザクセン州エシェデ村】"

 なお井口さんは「地震のときにちょっと飛び上がれば、これはもう脱線は避けられません」といっていますが、中越地震での脱線はロッキング脱線で、井口さんの説明ほどに単純なメカニズムではないようです。レールの内側にガードレールを設置するなどの方法で防げるようです。

(参考)

 井口さんのフェイクに近いコメントが必要な超電導リニアっていったい何なのでしょうか?


補足:2020/09/29

 井口さんが示したスライドで、エシェデの事故現場の写真の下に "nasa system failure case studies" と書いてあります。井口さんは、NASA の "Case Study PDF - Derailed Eschede Train Disaster - NASA …" か "Eschede Train Disaster" からこの写真を引用したようです。

 事故を起こした時に使われていた車輪のより詳しい図解があったので紹介します。「失敗百選」(PDF、5ページ)によれば、最初は一体型の車輪を使っていたけれど、騒音が大きいことや、楕円に変形することで振動が起きて乗り心地が悪くなったので、ゴムのクッションを挟んだ構造の車輪に変更。その後、空気バネが採用されたことで再度一体型の車輪への置き換えが始まったころに起きた事故。高速鉄道や路面電車以外の普通の鉄道では一体型の車輪が使われてきたし、現在もそうですから、エシェデの事故は非常に特殊な例。また、車輪が破損してから事故現場まで6㎞も走っていることから、車輪が破損したとしても事故を防ぐ方法はあったと思われます。日本の新幹線では車輪の異常を検知して警告する装置があるそうです。

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(参考 2020/09/30)

 "ドイツ新幹線惨事の背景"。著者は、「レール・車輪間の接触」などが専門の 永瀬和彦さん

 ドイツのICEが一時的に使ったタイヤ方式は、日本でも昔は行われていたようです。ただし鉄のホイールに鉄のタイヤを直接履かせる方式。しかし、欠点があるので圧延一体構造の車輪を使うようになったそうです。単純に鉄だから安心というわけじゃなく、それなりの工夫があってのこと。その工夫が日常的に経済的に継続してできるかどうかという点も重要で、鉄の車輪の場合はそれができてきたということ。そういう技術の歴史的な背景を考えると、井口教授のコメントは素人の委員向けとはいえ、鉄道の技術者に対して大変失礼なものではなかったかと思います。

 もう一つ注目ページは、"仏国鉄の鉄道最高速度記録更新の舞台裏 -ドイツの「マグレブ」に大きな打撃-" も一読を。2007年5月の記事。最後の部分を引用:

日本国内では、幸いにして欧州のように「リニアは過去の人」と見做す認識は現段階ではあまり多くはない。そして、「TGVの最高速度はリニアのそれより上である」との大風呂敷を広げようとした仏の目論みは失敗した。とは言っても、リニアの速度はTGVのそれとほぼ同じという現実が突き付けられたことも紛れもない事実である。今回の「仏の快挙」はJR東海のリニアの将来に影を落とす可能性はあるのだろうか。そして、この懸念を払拭するためにJR東海はリニアの更なる速度向上を目指すのだろうか。