更新:2021/01/26
川辺謙一著『超電導リニアの不都合な真実』について
昨年12月に、川辺謙一さんという科学技術ライターの書いた『超電導リニアの不都合な真実』という本がでました。タイトルからちょっと期待したんですが、ややがっかりの印象です。リニアの国内での開発は止め技術はアメリカに譲り、中央新幹線の建設は中止するという結論には同意できるんですが。特に、アメリカに譲るというのは良い。アメリカもきっともてあますに違いないですから。…
突っ込みどころは多い
実験線に架線用の電柱があるはずがない
たとえば、『東洋経済オンライン』の "JR「超電導リニア」の技術は本当に完成したのか 気鋭の技術ライターの疑問と、JR東海の見解" で、JR東海に軽く論破されている指摘もあります。山梨実験線の笛吹市内の地上区間に架線用の電柱が立っているという指摘について、東洋経済の大阪直樹記者はJR東海に確認しています。JR東海は落雷を避けるためと説明しています。実験線に架線を張るための電柱があるから、超電導技術の開発に失敗した場合は中央新幹線を在来の新幹線方式で建設する考えがあるんだという理屈と、落雷を避けるための導線を張るための電柱ですという説明のどちらが無理がないですか? ご自分で発見された事実について、説明に使うとしてその価値をどう評価すべきか、しっかり吟味されていないのかなと思います。ご自分が考えているよりもっと、「あきらかで納得しやすい」説明が存在する可能性もあります。
10㎝浮上だから…に根拠はない
これまでリニア解説本で取り上げられなかった、RossBerg著(*) や 大塚著(**)や中村信二さんのエッセイを参照している点は評価できます。ただし、中村さんの書いたものについて、重要な部分を見落としています。それは、10㎝浮上と1㎝浮上の違いから、どちらが安全かとかメンテナンスが容易だとかいう問題につながることです。
川辺氏は次のように書いています:
(中村信二氏は)日本で開発された超電導リニアは高く浮上できるので、日本のように地盤が悪いところに適しており、… という利点を述べた上で…(p118)
中村さんは:
この方式の欠点と考えられていたものの一つは,レールとマグネットの間隙が10mm程度と小さなことで,このためレールの精度をよほどよくしないと高速走行には適さないのではないかということである.しかし後述するように,この問題は実用上なんら支障のないことが判明した.(HSSTの開発について、PDFの2ページ目右中ほど)
- * Ralf Roman Rossberg 著、須田忠治 訳『磁気浮上式鉄道の時代が来る?―世界の超電導・常電導・空気浮上技術』(電気車研究会、1990年)
- ** 大塚邦夫著『西独トランスラピッドMaglev―世界のリニアモーターカー』(公共投資ジャーナル社、1989年)
トランスラピッドの事故の問題点は速度ではない
記述がなんか筋が通っていない部分もある。たとえば、最後の方で、ドイツのトランスラピッドのエムスランドの実験線で起きた事故に関連して書いているんですが:
ドイツのリニア事故では、車両が約時速200㎞で保線車両に衝突して、破壊されました。もし日本の超電導リニアで同様の衝突が起きたら、どうなるでしょうか。車両の重さが同じであると仮定して、速度だけで考えてみましょう(p343・344)
エムスランドの事故と同様の事故が起きた場合とは、保線車両が軌道上で作業中か走行中にもかかわらず列車が走ったことを想定すれば良いはずで、そういう事態が起きてしまったことこそが問題なのです。ところが、「ドイツのリニア事故では、車両が約時速200㎞で保線車両に衝突」したので「車両の重さが同じであると仮定して、速度だけで考えて」みるというのです。で超電導リニアの速度は時速500㎞だから云々と。衝突の衝撃は速度が速いほど大きいのですが、トランスラピッドの最高速度も時速500㎞だし、超電導リニアも時速200㎞で走ることはあるわけですから、速度の違いについて述べるという説明の仕方は論理的とは言い難いです。
車内にご利用いただける化粧室はございません
ちょっとひどすぎると思ったのは、トイレの問題。超電導リニアは3大都市を結ぶ地下鉄みたいなものです。山手線のような通勤路線の車両や、東京の地下鉄の車両にトイレはありません。乗車時間が短いのでトイレなんかいらないでしょう。そういうことは別として。川辺氏はご自分の乗車体験について書いている部分で:
次のようなアナウンスが流れた。「この体験乗車は、試験目的の施設、車両で実施いたします。そのため、一部営業用設備と異なる点がございます。ご了承ください。(中略)車内にご利用いただける化粧室はございません。
MLX01と同様に、L0系でも車内にトイレを設けられなかったようだ。…(p210)
先ほどのレポートでふれたように、乗車体験で使われている車両(L0系)にはトイレがついていないとスタッフが案内しています。(p242)…だからL0系にトイレがあったとしても、スタッフは「トイレがない」と案内せざるをえなかったと私は考えます(p243)
トイレはあるけれど使用できない場合だってあるはずです。トイレがまだ試作品段階だから使用できないとか。アナウンスはそう説明していると理解するのが普通じゃないですか。川辺さんの判断には無理があります。さらに、ひどいのは、体験乗車で聞いた同じアナウンスについて、210ページでは「車内にご利用しただける化粧室はございません」と紹介しているのに、242ページでは「スタッフは『トイレがない』と案内せざるをえなかった」と、書いている事実の内容が違ってるじゃないですか。トイレについては、日常的な安全点検と関連して、汚物の回収をどうすれば良いかという問題があるのですがその点に触れていません。
緊急時には車輪より安全なスキッド
細かいことでは、トランスラピッドは緊急時につかう金属製の車輪を装備しているといっています(p120)が、トランスラピッドは緊急時には「スキッド」、ソリのことですが、スキッドで対処する仕組みです。安全に着地して、なおかつ減速・停止させるという、いたってシンプルな仕組みです。形は違いますが、第二次大戦中のドイツや日本のロケット戦闘機(メッサーシュミット Me163 「コメット」、日本の「秋水」)が着陸するときに使っていました。車輪と違ってブレーキ装置が不要です。
コロナ危機で社会は大きく混乱しなかった
319ページにコロナ関連で次のように書いています。
コロナ危機で東海道新幹線の利用者数が激減した。
それでも社会は大きく混乱しなかった。
コロナ危機で社会の大きな混乱はいまだに続いています。後段を読めば、これまで必要と思われていた出張はどうしても必要というわけでないことがわかってきたという意味なんですが、言葉の上の理屈ではそうでしょうが、書き方が無神経にもほどがある。コロナ渦の最中にリニアどころじゃない。
飛び出した台車は車体の安定のため
297ページ。台車の幅が車体の幅より広い理由について、カーブを曲がりやすくするためと説明しています。F1カーの車輪は一番外側に出っ張っています。高速で走る場合の安定性を考えてでしょう。超電導リニアは反発力で浮かせるわけです。台車の幅より車体の幅が大きかったらバランスをとるのが難しくなるというのがホントの理由だろうと思います。トランスラピッドでは台車部分の幅の方が車体より狭いですが、磁石の吸引力の方が位置がきちんと決まりやすいですね(参考)。鉄道では車輪(台車)の幅は車体より狭いです。また、超電導リニアでは、台車の出っ張りが空力特性を悪化させているという指摘があったかなかったか?
筆致がくどい。無駄な記述が多すぎる。で結局、薪割りで刺身をひくといった感じかな?
乗り心地が改善できないこと、実は重大な問題
さて、さきほどふれた『東洋経済オンライン』の記事の中で、川辺氏は、乗り心地について改善できると思うと言っています(3ページ)。
――乗り心地についても辛口の評価をしていますね。…
――技術的に改善できると思いますか。
改善できると思います。ただ、そのためには時間もコストもかかります。実際の営業運転を考えると、どこで折り合いをつけるかという問題があると思います。
川辺氏は、大塚著の、ドイツで常電導が選ばれた理由について書いている部分を引用しています(p119)。
常電導方式が選ばれた理由は、…
…
・すべての考えられる運転条件の下で、良好な乗り心地が得られる技術問題が解決されていない
…
当時(筆者注・システム一本化が検討された1977年のこと)の結論は1987年に再度見直され、1977年の選択は間違っていなかったことが確認された。(同著37頁より)
ドイツの判断は30年以上前のものです。川辺氏は『現代ビジネス』(2019年9月14日)の "夢のリニア中央新幹線、乗ってみてわかった「実現への不安」 まだ道のりは長そうだ" でリニアの揺れ方について次のように書いています。
その振動に、筆者は不安を覚えた。高速道路で、足回りの状態が悪い自動車を運転するときのように、小刻みな振動に、フワフワする不快な振動が伴っていたからだ。(2ページ目)
超電導リニアの側壁浮上方式は、(1)側壁のパネルに浮上案内コイルが規則正しい間隔で取り付けられていて、車体側の超電導磁石がそれらのコイルと反応することで浮上します。(2)また右によれば左に戻すという磁気バネの働きによって列車は軌道に沿って走ります。
このメカニズムは、言ってみれば、(1)は規則正しい凸凹道を走ることとおなじであるし(中島洋、"超電導リニア開発裏話")、(2)は列車は何となく常に左右に揺れている、揺れる可能性があるということです。川辺氏の乗車体験は(1)と(2)で説明がつくんじゃないでしょうか。『超電導リニアの不都合な真実』では、指摘していませんが。
つまり、ドイツの1987年の判断は、2021年の現在でも間違っていなかったともいえるはずなんです。それは、超電導リニアのメカニズムと川辺氏の乗車体験からいえることじゃないかと思います。
ヘリウムは触れてならないタブー
『東洋経済オンライン』は、JR東海に対して川辺氏の指摘のいくつかについて確認しています(5ページ目)。それは、クエンチについて、トイレについて、L0系が初期型と新型を混ぜて連結して実験している点について、誘導集電について、架線柱について。記事に書いてあるのは、それだけ、『東洋経済オンライン』はヘリウムの問題についてなぜJR東海に確認しなかったのか、書かなかったのか? ヘリウムの問題はそうとう痛い問題なのに。
技術者にも責任はある
川辺氏は開発に関わって来た技術者を批判するつもりはないというスタンスです。基礎研究段階の技術をすぐにも実現可能なものとして開発を続けてきた技術者を批判できないということはないでしょう。昔からリニアはダメだといっている技術者もいるんですから。
葛西氏は国鉄時代はリニアとは全く無関係で、昭和62年のJR発足後にリニアの権威者の京谷好泰氏の一番弟子の藤江恂治氏(鉄道研究所→車両設計事務所→宮崎実験線→鉄道研究所→JR総研等とほぼリニア一筋)の案内で、ドイツのトランスラピッド(今は開発中止となった常電動リニア)を視察してから、強力なリニア推進者となりました。
…
リニア車体に4個付く超電導磁石は鉄道の鉄車輪に相当し、1つでも故障(クエンチ)したら脱線に相当する大事故です。リニアでは医療用のMRIの超電導磁石より遙かに過酷な使用条件です。
こう書けばリニアの危険性は小学生でもわかることで、葛西氏もリニアの実用化は困難なことぐらい十分承知しているはずです。
誰かが皆んなに嘘をつかせているのです。(*)
* 上の引用は、「北山敏和の鉄道いまむかし」 > "葛西敬之JR東海リニア対策本部長の関西経済連合会での講演" より
葛西敬之さんの『飛躍への挑戦』(WAC、2017年3月30日、p182~186)でもエムスランドの実験線のエピソードが載っています。超電導リニアのほうがトランスラピッドより進んでいると錯覚させるような説明を、国鉄時代からのリニア開発技術者が行った可能性が非常に高い。技術者を批判できない理由はないはず。
無理に無理を重ねるのは、最初の発想に無理があるから
超電導リニアの技術の実用化には無理なところがあります。もっと明快な論理で説明された文書があります。川辺氏の本を読んで不快と感じた方、訳がわからないと感じた方はそれらを読まれたら良いと思います。
- 阿部修治、"エネルギー問題としてのリニア新幹線"(岩波書店『科学』2013年11月、83巻11号)
- 西川 榮一著『リニア中央新幹線に未来はあるか─鉄道の高速化を考える』(自治体研究社、2016年2月15日)
- 「北山敏和の鉄道いまむかし」 "山梨リニアの超伝導磁石"、"アメリカのリニア(AIR TRAINS)"、"アメリカの高速鉄道(High-Speed Rail: Another Golden Age?)"
- 阿部修治、"リニア新幹線:限界技術のリスク(講演要約)"
- 『日本の科学者』2014年10月号 Vol.49 No.10 通巻561号 の "リニア新幹線をめぐる諸問題──燃費はリニアの皮を被った蒸気機関車並み"(小濱泰昭)。小濱教授は、『アエラ』2014年10月6日号に、
浮上式の超高速列車「エアロトレイン」の研究で知られる東北大学の小濱(こはま)泰昭名誉教授にたずねると、空気の流れの激しい乱れが原因だと指摘する。「ガイドウェイとリニアの車体面はいずれも凸凹状態の上、両者間の間隔が10センチ程度と狭い。その間に存在する空気が、一方では500キロ近くで引っ張られ、もう一方は0キロで止められ、激しい乱流状態になって乱流騒音が発生してしまう。さらに空気は止まったり、急に動いたりを繰り返すので、巨大な空気抵抗を生む
とコメントしている。 - 中島洋、"超電導リニア開発裏話"
車輪の発明は偉大
超伝導リニアの技術的な問題点は:
- 支持、推進、案内という3つの重要な役割を果たす鉄道の車輪と同じ役割の超電導磁石の信頼性は鉄の車輪に比べ著しく劣ること。従って安全性に問題がある。
- 超電導リニアの誘導反発方式は規則正しく並んだ浮上コイルの上を走るので、規則正しい凸凹道の上を自動車で走るのと同様の条件で常に走行しているので、振動の問題の解決が非常に難しい。
- 誘導反発方式は磁気バネで支えているため、車体の重量や遠心力などの外部からの力と釣り合った位置に車体がずれること、車体は右によれば左に戻すという動きをしながら軌道に沿って走ることから、これも振動の問題の解決を困難にしているし、高速走行時の安定性について心配がある。
- 現状では希少資源の液体ヘリウムが必須なこと。
- カーブでクエンチが起きた場合の対策がほとんど不可能。
- 低速走行時の車輪とその出し入れ装置、冷凍機などが必要なこと。
- 超電導磁石の超強力な磁界の人体への影響を避けるため、磁気シールドや伸縮式乗降装置などが必要なこと。
- 軌道周辺で金属材料の使い方が難しい。
- 側壁浮上方式を採用したために急な曲線での浮上走行が難しい(不可能)。ほぼ直線しか走れないため、南アルプストンネルという大工事が不可避。これが静岡の大井川の水の問題にもつながっている。
- トランスラピッドはもっとシンプルな方法で500㎞/hの磁気浮上走行方式を1980年代中ごろに実現したが、超電導リニアは超電導磁石にこだわったために、いまだに技術的に完成していない。磁気浮上式鉄道の開発競争で日本の超電導リニアはドイツのトランスラピッドや日本のHSSTに負けた。
- 従来の鉄道方式や常電導方式に比べて電力消費が大きい。
- 省エネルギーの時代では、浮上式鉄道の高速性よりは従来の鉄輪方式の環境性能のほうが重要となる。
- 鉄輪方式よりネットワーク性に劣る(分岐装置の問題)。
結局、反力で支持する陸上の交通機関の歴史において、車輪の発明というものは偉大なもので、重い列車を持ちあげて走らそうという考え方に無駄がある。