更新:2021/06/23
この辺にあったはずなのに
消えた土石流の記録
1961年6月の三六災害から60年。三六災害で被害のあった場所を訪ねる自然観察会がありました。人間が災害と呼んでいる現象は、そのへんに人がいなければ、災害ではなく、自然のいとなみです。ということで、三六災害だけでなく、伊那谷ではこういう現象は長い時間の流れのなかでは普通に何度も繰り返されて来たわけで、そういうことがあって今の地形ができてきたわけです。で、喬木村の伊久間では、対岸の飯田市の野底川で発生した土石流が天竜川を越えてきていたことを示すものがあるということで、訪れました。しかし、何か変。それらしいものがないのです。2年ほど前に来た時と様子が違う。2年前の写真のフォルダを探して見ました。
これは、水道水用の井戸のポンプ小屋。電柱がありますが、電線がはずしてあります。水質検査をしたところ飲用に不適切な有害物質が出て来たので、使用を止めたそうです。その有害物質は、地下にある野底川の土石流の堆積物のなかの岩石に含まれていたのだそうです。つまり、ここまで土石流は来ていたのだという意味なのです。これがあったはずなのにない。田んぼのまんなかにあったはずと探してみたのにない。
このあたりではと思われる場所から、リニアで移転になる2つの工場用の代替地が見えました。まだ造成中のようです。重機が見えます。もしかして、移転代替地の中にあったのかも知れないと思い、造成工事が始まった2020年12月に撮影した写真を調べてみました。
天竜川の堤防の上からみています。ここも元は田んぼのまんなかといえる場所です。
少し拡大してみると、画面中央にコンクリートの瓦礫が見えます。
翌日、同じ場所を撮影。すいぶん鉄筋があります。こんな田んぼの中に何があったのかなと思って撮ったのがこの写真。右側にはドアか窓のサッシもあります。
グーグルマップのストリートビューで確かめると、まだ、2012年、2014年の画像を使っていました。
[ 拡大 ] 2020年12月7日の写真と同じ位置から。黄色の丸印の中に井戸の小屋が見えてます。
[ 拡大 ] 同じ場所を反対側から見たところ。ページの最初の写真とおなじものが見えています。