更新:2022/05/07
途中から始まる話
途中から始まる話に真実はないと思います。
『信毎』5月5日の22面 "公民館報が読んだ波紋(上)豊丘 リニア残土めぐる連載中止要請 盛り土経緯示し 掲載中止求めた区長会 政治的中立は 募った不満"(web版)。『信毎』の記事は豊丘村の公民館活動に区長会が圧力を加えようとしたことを中心に書いているのですが…。
記事によれば、本山(ほんやま)残土置場の地権者・本山認可地縁団体(*)の代表の長谷川氏は、本山を残土置場とする「理由」について、残土運搬車が7年間も村民の生活圏を走るのを避けるためといっているようです。これが途中から始まる話。
本山が残土置場となる最初のきっかけとなった、本山生産森林組合(*)の組合長が2013年4月5日に豊丘村にあてた要望書の中では、当組合としては、山林への道路建設ができ、将来に渡って山林の管理ができる状況になればと希望しているところであります
と書いています。これがそもそも話の始まり。
ダンプの運行は7年、運転するのは人間、安全対策というものができます。しかし、谷埋め残土はこれからずっといつまでも災害の危険性を持ち続けます。そして、災害が起こるかどうかはほとんど自然任せのことです。今のところ谷埋め盛り土の安全性のための基準は無いといえます。
そもそも、リニアが地域にもたらすメリット、それはぼんやりとしていてあやしいものなのです。デメリットのほうがはっきりしている。リニアをやめれば、ダンプの問題も、谷埋め盛土の問題もない。
リニア中央新幹線についてJR東海が主張する建設目的には、合理性がないといわれます。実は、そもそもリニア計画自体が途中から始まる話なのだと思います。
* もと入会組合の本山更生会が1973年に本山生産森林組合になりました。2017年3月に残土の受け入れを決定しましたが、5月に長野県は決定の仕方が法的に適正でないとして、受入れの決定を白紙に戻すよう指摘。このとき、発足以来の不適切な運営(相続手続きをしなかったため約380人あった組合員で資格のある組合員が約140に減っており、無資格の組合長もいたなど)も分かり、組合組織の立て直しをめざしましたが、当時立て直しには10年程度かかると見られ、結局2019年3月に、認可地縁団体に改組。その後、再度受け入れを決定したという経緯があります。この間、生産森林組合のときから地縁団体になっても、組合員や会員のなかに受け入れに反対する声がありました。なお、長野県が受け入れ決定の白紙を指摘した前月の2017年4月20日に、つまり残土が置けると決まったわけでもないのに、予定地内で環境保全のためといって、JR東海は移植のために希少植物を採取するという非常識で不適切な行為もあり、これを問題視したリニア対策委員会の議会代表の委員が、対策委員会の席上、生産森林組合の組合長からどう喝されるということもありました。
なお、豊丘村から大鹿村にかけてリニアの伊那山地トンネルが工事中です。最初の計画では、伊那山地トンネルは、壬生沢川岸の本坑口、戸中(とちゅう)斜坑口(非常口)、坂島斜坑口、青木川斜坑口の4つの坑口から掘削する予定でした。ところが本坑口やその付近から掘削を始める適当な場所が確保できずに、戸中から東京方面と名古屋方面の両方向に工事を進めることになりました。名古屋方面へは下り勾配の掘削です。また青木川斜坑からの工事は、中央構造線付近で青木川の下を約30mの浅いところを掘り、その先には蛇紋岩が存在するところがあるなど、伊那山地トンネルも実は赤石山脈の一部を掘るわけで、これもなかなか困難な工事になるのではないかと思います。