更新:2022/11/13、2022/11/18 補足

(2022/11/18) このページの内容は、高森町公民館の文化祭(11月14日~19日)で展示しています

やらなきゃよかった?リニア

「2027年開業」は空証文?

 南アルプストンネルは静岡工区で水資源問題や南アルプスの生態系への影響への心配から静岡県の許可がなく、トンネル工事が着工できません。JR東海と静岡県の話し合いが進まないのは、JR東海が影響をなくすための対策についてきちんとした調査に基づいた具体的な説明ができないことが一番の原因です。9月に、静岡知事が神奈川県内の工事状況を視察したときに、相模原市内の関東車両基地の工事が11年かかるのに、まだ工事が始まっていないことが知られました。南アルプストンネルの長野工区についても、工事期間は予定では13年で、工事の認可が2014年だったので、2027年の開業はほとんどゆとりのない計画だったことは間違いありません。長野工区でもっとも掘削距離が長い部分は約6.8㎞。トンネルの掘削期間は10年の計画だったので、ひと月あたり約57mを掘り進める必要があったはずです。ところが実際には三分の二程度のペースです。これでは早くても長野工区は2032年、さらにガイドウェイの設置や試運転に2年必要なので2034年ころまでかかるはずです。「2027年開業」という目標は空証文だったといえるかも知れません。

都市部の大深度トンネル工事

 2020年10月に東京外環道のトンネル工事が原因で東京調布市内で陥没事故が起きました。トンネル上部の地盤沈下や地中に空洞ができたこともあって、地上に住む住民が立ち退きを迫られています。リニアも都市部では外環道と同じように40mより深い地下をシールド工法で工事をします。昨年の10月から品川区にある北品川立坑からシールド工法による工事が始まりしたが、300m掘る予定が50m掘ったところで機械が動かなくなってしまい、そのままの状態が続いています。愛知県春日井市内でも坂下立坑から掘削を始めようとしたのにシールド機が立坑から地中に出る前に機械が壊れる事故があって工事が止まっています。

 シールド工法は地中の浅い部分でトンネルの直径が小さいものについては実績があるのですが、40mをこえるような深い部分で14~15mという大きな直径で掘る工事はまだ技術的に確立していないといわれています。深い部分で大きな直径で掘るのは、外環道やリニアがほとんど始めての経験、上手くいかなくても無理はありません。それでも、2027年開業をめざすといって工事を始めたのです。

風越山トンネルもシールド工法

 飯田市内の中間駅のすぐ西から松川に向かってほる風越山トンネルもシールド工法。地下の平均70m以下の部分を掘り進みます。都市部で起きた陥没、地盤沈下などがおきる心配があります。JR東海は都市部では事前に地上の家屋調査を行っています。黒田地区などでも事前の家屋調査をするように、住民は要望していますが、いったい誰の家の下をトンネルが通るのか説明がないと地域代表が説明会で発言するような状況です。

 風越山の地上部分の黒田地区には住宅や農地、事業所があり、飯田風越高校の地下もトンネルが通ります。ところが、地上の個々の土地所有者に事前にトンネル工事の許可を取るのか取らないのかについて、JR東海はまったく説明をしようとしません。補償をするかしないかは、たとえば、重い建物を建築してもらっては困るとか、深井戸は掘らないようになど、土地の利用に制限を加える必要があるかどうかということに関係するのですが、土地所有者に事前に工事の許可をとるのは、民法で土地の所有権は地下に及ぶとされているので、当たり前の事なのです。しかし、こんな明確なことについて、住民側が問いただしてもJR東海は何も説明をしません。また、トンネル内を走行する列車の安全な運行を確保するためにもどこを通っているのかはっきりさせるのは鉄道会社の義務です。

 また、このトンネルは全長5.6㎞のうち東側の3.3㎞を山岳掘り(NATM工法)から、シールド工法に変更されたのですが、工事の認可より後でした。地下水の利用が多いことを理由としていますが、環境影響評価の段階までの調査が不十分だった可能性があります。

 中間駅の建設のために新戸川の流路の付け替えが行われる予定です。最近、長野県の環境影響評価技術委員会が新戸川が中間駅部分で流路を変更して駅の下を45mの長さの暗渠で通過する部分について、土石災害のときの詰まるのではないかとの懸念を示しています。新戸川の谷を飯田線が渡る部分の暗渠が細いので周辺住民は以前から暗渠の拡大をJR東海に求めていますが、問題ないと説明。災害ついて配慮が足りません。

鉄道事業を取り巻く状況

 リニア建設が始まる以前で東海道新幹線の平均乗車率は60%以下だったそうです。コロナ禍でリモートワークが普及しましたが、インターネットが普及し始めたころから予想されていことが、コロナをきっかけに一気に広まっただけのことです。この傾向は今後も続くでしょう。現在、そして今後の鉄道事業をとりまく状況は厳しく、リニア建設の前提であった東海道新幹線の収益は低迷を続けるでしょう。計画の中止を視野に入れるべき時期になったといえます。

リニア建設が中止になったら

 ほぼ直線で走るリニア。静岡を通過できないとしたらどうなるか?リニア計画が中止の場合はどうなるか?。南アルプストンネル、伊那山地トンネル、天竜川橋りょう、リニア長野県駅などは、不要になるか、つくり直すかしなくてはならないはずです。すでに移転された方たちもおられますが、リニアが来ない場合、なぜ移転しなければならなかったのかという気持ちは残るでしょう。一方で、全線を見渡せば、移転に応じていない方もいます。

 JR東海は静岡以外では予定通りに工事を進めると説明しています。飯田下伊那の市町村長は、JR東海の説明を「信用し」、リニア関連事業は予定通り進めるといっています。それで良いのでしょうか? リニアが失敗した場合のことを考えているのかと住民に問われたある首長は、その時には仕方ないというしかないだろうと応えています。はたして、仕方ないですむことなのでしょうか。

部分開業もできない交通機関

 磁気浮上式鉄道の開発の歴史の中で、JR東海の超電導磁石を用いた誘導反発方式は、よりシンプルなシステムである常電導方式のトランスラピッド方式(上海リニア)に比べると、実はかなり見劣りするものです。 ドイツは1920年台から常電導の磁気吸引方式の研究開発を始め、1935年には特許が取得されました。戦後、発展した半導体やエレクトロニクス技術の成果を取り入れて、1980年台後半に、実用化しました。実は、ドイツではシーメンス社などが1970年頃からJR東海と同じような超電導誘導反発方式の開発を行いましたが、技術的、経済的な問題点から超電導誘導反発方式の開発を中止して常電導のトランスラピッドの開発グループに合流しました。日本でも日本航空は常電導を選び、開発を受け継いだ中部HSSTは、名古屋でリニモの営業運転を実現させました。超電導誘導反発方式はアメリカのアイデア。しかし、元祖アメリカでは開発は行われましたが完成させることはありませんでした。

 なぜか?エレクトロニクスはいろいろな方面で実用化が進み信頼性が実証されています。また鉄心に巻いた電磁石は従来の技術です。エレクトロニクスで電磁石を制御するという仕組みは信頼性が期待できますが、超電導リニアでは、超電導技術自体がまだ完成した安定した技術とはいえない部分があります。

 鉄道は大勢の乗客をのせるので信頼性と安全性が求められます。鉄の車輪は超電導磁石に比べて非常に頑丈ではるかに信頼性が高いのです。列車の重さを支えて、さらに列車を走らせるという「鉄の車輪」の役目が、超電導磁石につとまるはずはありません。現在の超電導磁石は希少資源である液体ヘリウムで冷却しなくてはならないので、コストがかかります。液体ヘリウムの要らない高温超電導磁石の採用について結論をだす期限は来年の3月。ところが、高温超電導磁石を搭載した試験車両の走行試験の報道はまったくありません。

 2004年から上海で営業運転をしているトランスラピッドは車体自体は運行速度500㎞/hであり、半径400mのカーブも浮上したままで通過できるという性能。冷凍機や希少資源であるヘリウム、磁気対策、補助車輪も不要で、よりシンプルな軌道構造、消費電力も少ないなど、JR東海のリニアよりはるかに優れていると認めざるを得ません。

 リニアモーターカーがモーターである以上、固定側の軌道と、通常の電動機の回転する部分にあたる車体との隙間はできるだけ少ない方がモーターとしての効率が上がります。ドイツの技術者は、開発過程で、浮上量は少ないほど良いことがわかったといっています。つまり10㎝浮上より1㎝の浮上のほうがすぐれている。超電導リニアは、時速500km/h程度の高速で運行する磁気浮上式鉄道の開発で、トランスラピッドに大きく遅れをとったばかりでなく、見当はずれの方向で開発が続けられたというほかありません。

 JR東海の超電導リニアの最大の欠点は、ほぼ直線の路線を走ることのみを念頭に開発された点です。トランスラピッドの実験線には半径1㎞、1.7㎞のカーブがあるのに、リニアの実験線は半径8㎞のカーブがもっとも急なカーブで、ほぼ直線状です。いま建設中のリニアの路線は、営業路線というよりは、実験室のテストコースを、そのまま品川と名古屋方向にほぼ直線状に拡大延長したものといえるでしょう。実用的な技術としては大変に心細いものです。

浮上式鉄道はもういらない

 超電導リニアより優れていたトランスラピッドも、ドイツ国内のハンブルグとベルリン間の計画は、当初予想されたほどの需要がないことが分かって中止になり、ミュンヘン空港のアクセス線も中止となりました。2011年にドイツはトランスラピッドの開発を止めました。大きく発展した中国の高速鉄道網も従来の鉄道方式です。

 世界が気候変動対策で温暖化ガス削減に向かっている中で、世界の鉄道車両メーカーの関心はいかにクリーンな車両を開発するかという点にあります。そしてトラック輸送の鉄道への転換。ヨーロッパではすでに2016年ころから投入された新型の高速列車の最高速度は250㎞/hどまりです。夜行列車の復活もはじまっています。高速走行だけがうたい文句の磁気浮上方式鉄道に未来はないといえます。

環境問題で批判にあうリニア

 アメリカの東海岸の首都ワシントンとボルチモア市の間に超電導リニアを建設する計画があります。この計画について、2021年の1月に、環境影響評価書の草稿が公表されました。5月下旬まで、草稿への意見の募集が行われました。計画ルート沿線には国立公園、研究施設などが多数あって、計画について多くの否定的な意見が寄せられました。ボルチモア市は意見書で建設の中止を勧告しています。アメリカの環境影響評価では事業の中止という結論もあり得ます。また、建設計画をすすめる、ワシントン・ボルチモア・ラピッド・レール社(WBRR社)は、ボルチモア市内の元鉄道用地の購入に失敗。その直後、同じ土地を不動産開発会社が住宅地とするため購入しました。WBRR社は、不動産会社が購入したことについて非難する訴訟を起こし、一審で棄却されましたが係争中です。

 アメリカで出ている批判のなかで、注目すべき点は、沿線住民の大多数が利用できる交通機関ではないのに沿線住民が迷惑を受けることはおかしいという考え方が重視されていることです。

 ヨーロッパで否定され、アメリカでも上手くいっていない超電導リニアです。世界に誇れる超電導リニアと思われている方もいるかたもおられると思います。いまのところ、超電導リニアをやっているのは日本だけです。世界にひとつだけが、世界一優れた技術といえるのかどうか…

地域づくりに役立つのか

 もともとは、JR東海は中間駅の建設費用は地元が負担するよう求めていました。JR東海にとって飯田に駅を作っても意味がない、利用者が少ないと見込んだからです。利用者の予想は飯田が沿線で最小です。

 住民の移転、地域社会の破壊は、地域社会のこれまでの蓄積をこわし、すてさる、ことです。そして、自然環境破壊など多大の犠牲があっても、リニアを受け入れる価値はあるでしょうか。飯田下伊那の大多数の住民にとっては、リニアはチャンスではなく逆にリスクではないか。

 7月21日の『日本経済新聞』1面記事によれば、「各種都市データを集計し、多様な働き方が可能な特徴を点数化」したら「働く場としての中堅都市の潜在力が浮かんできた」として、そのランキングの第5位に飯田市が入っています。各種都市データの中には東京都への交通の便という項目はありません。本当にリニアは必要なのでしょうか?

 長野県世論調査協会による2021年8月の世論調査によれば、リニアに期待しないが68.4%という数字も出ています。

 2011年にJR東海が公表した中間駅の位置は「高森町東南部から飯田市座光寺」でした。その後どういう経緯があったのか不明ですが、飯田市上郷飯沼北条に変更されました。この結果、JR東海は建設工事で余計な手間をかけることになったのではないか。壬生沢川の橋りょうと喬木村内の短いトンネルです。ところがJR東海はルートを変更している。事業を是非とも完遂するという意思があったのかどうか?

やらなきゃよかったリニア

 JR東海にとっても、リニア計画はやらない方が良かった事業ではないか。そんなものがなぜ実行されたのか。

 JR九州の初代社長をつとめた石井幸孝さんは、思い付きの提案はきちんと検討すれば、上手くいかないことや開発に要するエネルギーが無駄になることはわかるはずとして、経営者には深い洞察力が必要だといっています。リニアは「思いつき型」で、長年の鉄道の経験が役にたたない、完成までには時間もお金もかかるはず。相当な時間と資金を使った後に失敗という例が多くあるけれど、それを世間が大目に見るのは日本的風土かも知れないといっています。お金と知恵と時間には限りがあるので何を優先するかの選択の問題で、新しい仕事を始めるか否かについて、また始めた後の進め方について、経営者の判断は賢明でなければならないといっています。また、日本では、組織の中で率直な異論を言いにくいことも原因としています。

部分開業はあたりまえ

 最初のほうでふれた静岡県知事は、まず神奈川県と山梨の間で部分開業をしたらどうかと提案をしました、なにか突飛な発言と思う方いるでしょう。しかし、本来は鉄道技術者であり経営者でもあった石井さんは、「世界の鉄道200年の歴史で、リニア中央新幹線は違う文化になる。神奈川―山梨間だけでも開業して、いろいろな人に乗ってもらい、その先どうするかを考えたらどうか。 」ともいっており、静岡県知事の発言は鉄道建設については、ごくごく一般的な常識を述べていることがわかります。飯田線も辰野から建設を始めて、完成した区間で営業をしながら南下してきました。JR東海は神奈川県内の変電所ができないから部分開業は無理といいますが、上海のトランスラピッドも推進方式は超電導リニアと同じなのですが、上海国際空港から上海市郊外までの約30㎞の部分開業の形です。もし、なにかできない理由があるとすれば、鉄道のような交通機関として超電導リニアは適切な技術とはいえないと思います。

ショッピングカートは「楽」

 そもそも、荷物を運ぶのに車のついた道具を使うのは、目方をささえ、スムースに移動できるからです。私たちの日常の経験から簡単にわかることです。重い列車を持ち上げ走らせることは、相当の無理があると思いませんか? そこまでしてスピードを追い求める必要があるでしょうか? この問いは多くの鉄道技術者もいっていることです。私たちが暮らす地球には1気圧の空気があって、重力が働いています。そういう条件のもとで走る列車に、スピードの限界があることは当たり前です。

 スーパーでショッピングカートを使うのは、車輪が付いていて楽だからじゃないですか? 中にはカートに寄りかかって自分の体重までのせて楽だと思っている人もいるんじゃないでしょうか?


飯田線の開通と灯ろう流しの始まり

 飯田線の前身の伊那電気鉄道(伊那電)は1923年の3月に市田駅まで、8月に飯田駅まで開通し営業を始めました。飯田線の開通と市田灯ろう流しの始まりについてはなにか関係があるといわれています。高森町のホームページでは「JR飯田線の開通した年に始まりました」とかいてあります。

 1902年に創刊した『南信新聞』という古い新聞の飯田線開通当時の記事を読むことが出来ました。『南信新聞』は1939年に『信濃時事』、『信濃大衆新聞』と『信州合同新聞』となり、1942年に新聞統合で『信濃毎日新聞』に合併されました。

 『南信新聞』の1925年8月16日付けに、8月17日夜、市田村出砂原の天竜川で盆供養と灯ろう流しを『南信新聞』主催でするという社告が掲載されています。同じ紙面に、「精霊を慰める為 灯籠流しを 本社主催で十七日夜 市田の出砂原 天竜川で 電車は往復五割引」という見出しの記事があって、次のようなことがかいてありました。

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 娘さんを昨年亡くした市内に住む加藤庄三郎さんは、新盆見舞いの客にむかって、天井から吊るされた沢山の切子灯ろうを見あげながら「飯田町(飯田市の旧市内)だけでも新盆の家に飾られる切子灯ろうの数は何百と沢山あるだろう。これらを集めて、昔京都の御所で行われたように灯をともして天竜川に流せば優雅な年中行事となるだろうし、みたまを慰めることにもなるし、始末しなくてはならない切子灯ろうも上品にかつ有意義に片付けることができると思う」と語った。この話を聞き本社は大変結構な意見だと思った。この風流なアイデアを年中行事の一つにしたいと思う。そこで、とりあえず別に掲載した社告のとおり明日17日の夕方7時から夕涼みの場所である市田村の出砂原の明神橋付近で天竜川に数百の灯ろうを流すことを決めた。急な試みだが、さいわい、飯田駅や桜町駅から市田駅の間は毎夕6時から5割引きの往復納涼キップが販売されているのは、見物の皆さんにとって朗報だ。
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 飯田駅まで開通した1923年8月のお盆に、伊那電は「納涼電車」を運行して大変な人気だったようで、灯ろう流しの始まった1925年にも納涼電車が運行していたことは上の記事でもわかります。

 また切子灯ろうを新盆の家に贈るのが流行っていたという記事が1925年8月6日にのっていて、飯田町役場が虚礼であるから廃止するように呼び掛けたけれど、中流以上の階級ではあいかわらず行われているとかいています。

 1925年8月2日には、「蒸し暑い夏の一夜を電車に運ばれて市田村出砂原納涼園に遊ぶ事もホントウに町に居ては味わえない気分だ」と出砂原が夕涼みの場所と紹介されています。

 さて、1937年には日中戦争がはじまりさらに大東亜戦争へと突入していく時代に灯ろう流しがどうなったのか、防空訓練で中止になったという記事もありました。また『出砂原のあゆみ』には1948年に再開したとかかれているので、中断した年もあったはず。来年は灯ろう流しが第100回をむかえるというのですが、1925年が第1回ですから、中止した年を数えても今年は第98回のはずです。

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JR東海、墓穴を掘るの図

 リニアの品川駅から約1㎞南にある「北品川立坑」からリニアの「第一首都圏トンネル」を掘削する計画です。

 この立坑のある場所はJR山手線の大崎駅から徒歩で東に10分程のところ。すぐ隣には「史跡・官営品川硝子製作所跡」や沢庵和尚や賀茂真淵や渋川春海や井上勝が眠る「萬松山東海寺」の「大山墓地」があります。

 井上勝は、初代鉄道頭として1872年に新橋・横浜間の鉄道を開通させ、「鉄道の父」といわれる人で、お墓は鉄道記念物になっています。リニア新幹線の第一首都圏トンネルはこの大山墓地の下を通ります。

 昨年10月から「北品川立坑」でシールド工法により工事が始まりました。およそ半年で300mを掘削する予定でした。しかし、50m掘ったところでシールドマシンは前進できなくなりました。工事ヤード内にとどまっています。

 大地首都圏トンネルの工事が進まないのは、「鉄道の父」の眠る墓地の下を掘るというおそれおおいことをしようとしているからではないか。文字通り、「JR東海、策を弄して墓穴を掘るの図」。

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南側(御嶽歩道橋A)からみた「北品川立坑(非常口)工事ヤード」。ヤードの向こうの緑地が「大山墓地」。

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北側(大山墓地の南の端B)からみた「北品川立坑(非常口)工事ヤード」。手前のコンクリートの曲がった壁は立坑の一部。

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「大山墓地」(C)のなかから工事ヤードのクレーンがみえる。

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「鉄道の父」(D)井上勝の墓。後ろに東海道新幹線。

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井上勝の説明プレ-ト。


変わる時代に直面するリニア計画

硬直する難事業

 安倍晋三氏が最初に首相になったのが2006年9月。JR東海が自己負担でリニア中央新幹線を建設すると表明したのが2007年12月。今年5月25日にはJR東海名誉会長の葛西敬之氏が病死、7月8日には安倍晋三氏が銃撃で死亡。

 『中日新聞』系列の『東京新聞』10月23日付記事:

 「こちら特報部:毀誉褒貶ある異端の経営者 JR東海名誉会長 故葛西敬之氏 幅広い人脈◇改憲・安保強化◇原発推進 安倍氏と親密 保守的な国家感 国鉄民営化で中心的役割 『過疎化招いた罪深く』」、 「硬直する難事業リニアに執念 静岡反発で停滞 かさむ工費 元社長が在職中に『ペイしない』 『夢の超特急』 時代変わり見直し求める声」

 記事で、リニア計画を目的が不合理で不明確と批判してきた橋山礼治郎氏は「『…今の状況では、ゼロから見直すくらのことが必要。準公共工事なのに国も本気で取り組んでいるように見えない。リニア計画を進めるには、圧倒的な能力のある人がまとめなければ難しいだろう』」と指摘。記者は「橋山氏に『葛西氏が生きていれば?』と聞いたが、否定的だった。… (葛西氏は)今後については『後輩たちに任せた。精神的な支援をするのが僕の立場』とも。今や精神論では進みそうもないリニア。後輩たちは大変な事業を受け継いでいる。」。この記事が『中日新聞』に掲載されるかどうか? JR九州初代社長だった石井幸孝さんは、今年8月に出版した『国鉄 ー「日本最大の企業」の栄光と崩壊』(中公新書)の中で、洞察力が足りない上に立つ人が「思い付きの発想」により指示をだすと、下の者が「格好だけはつけなければと困惑しながら奔走する」ことになるといっています。本当にリニアは進めるべき事業なのか?

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