更新:2023/08/31
リニア中間判決控訴審の最終弁論、8月30日
海軍省跡・軍令部跡の碑
(裁判所前集会)
8月30日、午後2時より東京高等裁判所でストップ・リニア!訴訟の中間判決(2020年12月1日東京地裁)についての控訴審の最終弁論が行われました。
原告適格について争っている控訴人の一覧表の誤記の訂正や証拠について裁判官が確認をしたあと、静岡の芳賀さん(控訴人)、山梨の川村さん(控訴人)、関島弁護士の順に、控訴側から意見陳述が行われました(陳述内容については資料集に掲載)。
判決言い渡しの日時については、11月28日の午前11時と決まりました。
閉廷後、衆議院第一議員会館で報告集会があり、『7.18 判決をどう読むか』と題して法政大学名誉教授の五十嵐敬喜さんの講演がありました。当日のレジメに直近の原告団長からの質問を反映したレジメを書かれるそうなので、後日掲載します。
なお、7月18日の地裁判決についての控訴について、長野県内からは16人が控訴する予定です。
資料集
(報告集会)
海軍省跡・軍令部跡の碑
首都高の渋滞がほとんどなくバスタ新宿に定刻より10分ほど早く到着しました。集合時間まで1時間ほど時間ができたので、裁判所の近くにある海軍省跡・軍令部跡の碑を見てきました。厚生労働省などが入っている中央合同庁舎第5号館付近に海軍省や軍令部があったそうです。
中央合同庁舎第5号館の守衛さんに「海軍碑」が見たいと申し出ると氏名・住所を記帳後、案内していただけます。写真撮影可で、背面に歴史が書かれているのでごゆっくりとのことでした。
海軍省跡・軍令部跡の碑の位置は星印。
日比谷公園側の歩道からみた中央合同庁舎第5号館。時計台の後ろに海軍省跡・軍令部跡の碑。
海軍省跡・軍令部跡の碑。右に時計台の後ろ側が見えます。碑の後ろは地下鉄・霞ヶ関駅の「B3a」出口。
石碑の上は海の波のかたちに、台座の両側にも波のかたちが。
文字を書いたのは、戦争中は海軍主計少佐だった中曽根康弘総理大臣。
昭和60年(1985年)11月に「財団法人 海軍歴史保存会」が建立。
なぜこれが見たかったかというと、NHKが1993年2月に放送した『ドキュメント太平洋戦争 第3集 エレクトロニクスが戦(いくさ)を制す ~マリアナ・サイパン~』(*)という番組のなかで、ディレクターの山本肇さんが「電子技術を防御の面にまで活用したアメリカに対して、日本の海軍はひたすら攻撃だけを重視して防御のためにレーダーを必要とするといった発想を持つことができませんでした」と説明する背景にでてきたからです。
* この番組はNHKオンデマンドでもれます。また、角川書店から文庫版か新書版で出版されていたはずです。
番組の最後のほうで、戦後、「日本は民間での科学技術の発展に力を注いで今ではアメリカをしのぐ技術大国になったとさえいわれて」いるけれど、「生命とか安全、環境といった分野での基礎的な科学研究は、けっして十分とはいえない」し優遇されてもいない。かっての海軍が攻撃優先だったことと通じる、現在の、経済や企業を優先させる考え方は、科学のありかたや企業で働く労働者の生活や命を犠牲にしていないだろうかと。マリアナ沖海戦やサイパン島での多くの犠牲は昔のこととは思えないと、いっています。
リニアは、合理的な建設目的がないのに、計画が進められています。環境の点では、環境大臣が非常に厳しい意見をしていました。それなのに国交大臣は認可をして、認可に対する行政裁判では認可は大臣の裁量権の範囲で行われたので違法性はないとされました。しかし、静岡をはじめ環境関連でいろいろな問題が起き、工事が上手くいっていないというのが現状です。
建設するという「攻撃」に重点をおいて、環境という「防御」を軽視した国政やJR東海の在り方は、かっての海軍や軍部の態度と同じじゃないかという点で、まあ、この碑はリニアとも関係あるかなといったところです。
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