更新:2024/08/29
長野県リニア整備推進局長が土曽川橋りょうの現場視察
27日午前、長野県のリニア整備推進局長が土曽川橋りょうの現場視察しました。20日に「リニアから自然と生活環境を守る沿線住民の会」(以下「沿線住民の会」)が長野県庁まで行って、土曽川橋梁のケーソン基礎の中詰めに要対策土を使わないよう長野県知事宛の要請文を手渡しました。直接、応対したのはリニア整備推進局の局長など3名と環境部環境政策課から1名でした。
その翌日に、「沿線住民の会」に、リニア整備推進局から、27日に会議があって、局長が飯田へ行くので、リニアの工事の現場で懇談をしたいとの連絡があったと沿線の会の事務局はいっています。20日に同様の発言があったのかも知れませんが、私ははっきりとした覚えはなく、飯田に勤務したことがあるのでよく知っているみたいな話の延長でいったのかも知れません。局長は助さん格さん連れできました。
28日朝のNHKラジオのニュースを聞いてあれっと思いました。ニュースは冒頭で、住民の要請を受けて県の担当者が現場を視察したといっていました。
リニア中央新幹線のトンネル掘削で出た基準値を超える重金属を含む残土を、飯田市内に整備する橋りょうの土台に利用する計画をめぐって、残土の利用に反対する地元住民の要請を受けて、県の担当者が27日、橋りょうの建設現場を視察しました。(『信州 NEWS WEB』28日8時31分 "重金属含む残土を橋りょうの土台に利用する計画で県が現場視察")
NHKのカメラマンが一番早く来ていました。
現場の視察は、リニア整備推進局が希望したことで、「沿線住民の会」が要請したものではありません(※)。NHKの報道は正確とはいえません。この書き方だと、リニア整備推進局は地元住民の批判によく耳を傾けているという印象をあたえていますが、それはどうかな…。
※ 『南信州』29日 "沿線住民の会 県局長と現地で懇談 要対策土活用の不安伝える" は、20日に沿線住民の会が長野に要望書を提出した「際に室賀局長が現場を視察して住民の声を聞きたいと懇談を依頼した」としています。
懇談はリニア駅の東の端の部分=土曽川橋りょう予定地のそばで行われました。左に見える鉄筋が土曽川橋りょうの橋脚P1のケーソン基礎。鼠色の背広が室賀局長。
要対策土の持ち込みはいつから
要対策土の持ち込みは「早ければ9月ころから」(『信毎』3月1日)とJR東海は2月末時点で説明していました。
環境保全計画書の修正後、環境影響評価技術委員会の審議やパブリックコメントの募集を経て県知事の助言がでないと、要対策土の持ち込みはしません。その保全計画の修正版がまだ公表されていません。7月末時点で、JR東海は数カ月かかるといっていました。
また、現場では現在、基礎の鉄筋工事が終わり幕板をはる作業をしているようですが、コンクリートの打ち込みがすぐできるような状況ではないし、まだニューマチックケーソン設備や要対策土の荷下ろし場や濁水処理装置などは手がついていない状況。つまり、9月以降の「9月」っていうのは何なのということですね。
この駅の工事もすでに大きく遅れ始めていることについて、リニア整備推進局長も理解できたと思います。
JR東海は工事を急いでいない
20日にも、いったのですが、土曽川橋りょうのケーソンについて、2022年10月には現地の掘削残土を中詰めに使うとしていたのを、今年の2月末に大鹿村内に仮置き中の要対策土を使うと変更した。また、壬生沢川の橋りょう工事でもケーソンがあるんですが、6月末ごろ地元の説明会で要対策土を使うのではないかとの質問にいまのところ考えていないと回答。最近、公表された壬生沢川の橋梁工事を含む保全計画では、ケーソン工事ででる残土の始末や中詰めに何を使うかなどについて一切記述がない。土曽川橋梁では、要対策土の使用に変更したことが住民から批判をうけたし、保全計画の変更も必要になった。そういう経験があるのに、壬生沢川の橋梁については、土曽川の2年前の説明と同じところかそれ以前に後退している。そういう、ケーソン工事について具体的な説明のない保全計画を今になって出してきている。こんな姿勢はおかしいとの指摘も住民側からでました。
長野県庁は遠い
環境影響評価技術委員会は長野県庁で開催されます。リニア沿線から県庁までは、高速で2時間10分(高速料金約7500円)、バスで3時間以上(往復乗車券5900円、1日4便しかない)かかります。もう少し近い場所でやってほしいとの要望に、委員のメンバーの利便性を考えると長野でやることになってしまうとの説明でした。リニアができれば、委員も来やすいので、リニアの建設される飯田で開催も可能ですというような、ふざけた説明は、さすがに県はしていません。
地域に影響ある事件の報告が遅すぎる
20日にいい忘れた点として、今年2月23日に下久堅であったアルカリ性の廃水の流出のような事故は、事故が起きたらすぐに、飯田市や長野県に速報するようJR東海に要請して欲しいという意見もありました。下久堅の事故は、毎年6月に出される年1回の環境報告のなかで明らかになったことです。だけど、労災事故で連絡を早くと求められたのに、周囲の水質に影響のある問題について、すぐに知らせないというJR東海の態度も、着工前に流出事故などがあったらすぐに連絡せよと強く要求しなかった県や自治体も、「指示待ち人間」的です。JR東海も行政も官僚機構ですから、そうなってしまう。JR東海は純粋な民間企業じゃないですから。
長野県の希望は、P2の工事から?
土曽川橋りょうの橋脚P2の予定地。画面右が国道153号線。ガソリンスタンドは後ろ側の更地に移転予定。
右端の電柱のそばから撮影したのが上の写真。撮影位置のあたりで、橋脚P2と国道の東側の端が接するので、国道の工事に影響が出ないように駅の東の部分を最初に工事するという話だったはず。だったら、P2からやれよといいたいのだけれど「JR東海様」にはいいにくいというのが県の立場なのかな? 県の「JR東海様」なんていいかたはおかしい、平等なはずでしょという指摘もありましたが…
土曽川橋りょうは、東から順番に、土曽川と国道153号線をまたぎます。国道の拡幅改良はリニア駅アクセスのためですが、国道の工事とのかねあいで土曽川橋りょう部分から始めるみたいな話はあったと思います。その点について、県側から、本当は今工事をやっているP1ではなくP2からやって欲しかったとの話がありました。いわれてみれば、そりゃそうだという感じですね。
風越山トンネル 土地所有者への起工承諾、長野県の所有地は?
風越山トンネルの地上の土地所有者に掘削について許可を求めるかどうかという問題について、JR東海が明確な回答をしない点について指摘した人がいました。関連して、県道と県立高校の地下も通過するが、県有地の地下部分の工事の承諾についてはどうなってるのかとの質問には、確かめてみるとのこと。「推進」という看板を掲げた特別の部署であるのに、即座にこういう手続きがされているという答えがなかったのは不思議に思えました。飯田市の場合もそうですが、地方では市街地などの地下については、トンネル掘削の前に所有者に許可をもらうことについては、ある程度深い部分、事業主体が関係ないと主張する深さの場合は、JR東海の場合は30m以深は、あいまいなやり方になっている印象を受けます。
リニアは必ず失敗する
現状から考えて可能性が非常に高いリニアが失敗した時、その時のことも考えてやってほしいといいました。太平洋戦争は、陸軍省や参謀本部が日米の国力の比較研究をしたうえで勝てないという報告があったのに、無視してやって負けました。リニアだって、ずっと前から批判の声はあったのに無視してきたところは同じです。失敗したときのことも考えないと指摘すると、まあかなり無理筋な質問というか意見ですが、それにはちょっとお答えできないという感じでしたね。
以下は、県側には話していない、筆者の考えです。リニア計画のような、そういう迂闊な計画をうっかり見過してしまう国民性とか県民性があまり戦前と変わっていないことも問題です。長野県についていうなら、満蒙開拓です。飯田下伊那から多くの方が開拓団として出発して多数が亡くなったり大変な経験をされた方も多い。リニアは国策・民営ということばで説明されます。国策だった満蒙開拓と「夢のリニア」をくらべることはできないでしょうか。国策、準国策だから大丈夫といえるのか。戦後、非常に長い間長野県知事を務めた西沢権一郎氏は戦前の長野県で満蒙開拓の団員を募集した拓務課で課長を務めていました(※)。その方が、戦後、県知事を長く務めることができたというのも今にして思えば不思議な話です。
※ 「『満蒙開拓』の史実を語り継ぐ」(p25左):当時の当然の成り行きであったにしろ、長野県の教育界や行政が満蒙開拓に深くかかわったことについて、「その総括、反省等は戦後どのようになされてきたのかは考えなくてはならないところだ」と著者は書いています。西沢権一郎氏は1959年4月から1980年9月11日まで6期在職(戦後最長)。著者は新幹線の駅ができれば必ず発展するという考えは、事実から見れば安易すぎると指摘もしています(「リニア中央新幹線」並びに高速交通網と地価)。なお、著者である寺沢さんはこれら2つの論稿で満蒙開拓とリニアとを結びつけて論じているわけではありませんので誤解しないように願いします。
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