『朝日』2017/09/20、15面 「耕論」
http://digital.asahi.com/articles/DA3S13141187.html?_requesturl=articles%2FDA3S13141187.html&rm=150
より

■「なぜ」問い詰め、決定尊重

 サッシャさん(タレント)

 ドイツ人と日本人はどちらも勤勉でルールは守る。似ているところが多いだけに違うところがはっきり見えます。

 ドイツも会議が多くて長い。ただ、鶴の一声で決まるようなことはありません。究極に空気を読まない人たちで、納得できなければ理由を求めて延々と議論します。ただ、決まれば従う。だから、できあがったモノやシステムには安定感があります。

 ドイツ語のwarumとwiesoは、どちらも「なぜ」「どうして」という意味ですが、ドイツ人が一番好きな単語じゃないかな。

 僕は小学3年までドイツにいて、あらゆる場面でなぜを問われる環境に慣れました。たとえば遅刻。謝る謝らないかより、理由を説明できない方が怒られます。「前夜に親戚の集まりがあって遅くまで起きていたから」と言えば、じゃあ寝る時間をあらかじめ決めておこうとか、次への解決の糸口が見つかります。

 理由を求めて、理解して、だからどうすると言えないとダメ。日本人からすると理屈っぽいんですが、なぜをあいまいにすると責任がはっきりしないし、進歩しません。

 こっちに来てとまどったのは、「つべこべ言わずにやれ」と言われること。ドイツでは、子どもからも「なぜ」と聞くのが当たり前でした。

 いま分かるのは、教育もナチスの反省の上に立っているということです。抑圧的じゃいけない、と。理由も分からずにみんなと同じことをすれば個性がなくなるし、全体主義につながる。

 戦前も一個人は悪人じゃなかったはず。それが、ナチスが政権を取るとユダヤ人の友達もいたのに収容所で殺してしまう。人間の怖さです。ドイツ人はまじめだから、右向け右で良い方向に進めばいいけど、間違った方向に行くと大変なことになると、ドイツ人自身が分かっています。

 人間の本質は簡単に変えられないけど、集団行動のルールは変えられる。従順で扇動されるような子どもにしない。その考えが教育に出ていると思います。子どもを変えるのは、社会の未来を変えること。いちいちなぜを問い、それを尊重する。ドイツ社会の常識、行動の基盤です。

 メルケルさんが支持されるのは、政策の「なぜ」が分かりやすいからでは。東日本大震災後の脱原発やシリア難民の大量受け入れは、感情に動かされたのかもしれない。でも、戦後の歴史を踏まえて、人道的な正しさを尊重するのがドイツの常識です。メルケルさんの感情的決断のなぜは理解できます。

 「お母さん」と呼ばれていますが、決断に愛情や人間味がある。長く政権が続くのは、私利私欲とか党利党略とかではない「なぜ」を、彼女には見つけられるからだと思います。

 (聞き手・村上研志)

 Sascha76年生まれ。父がドイツ人、母が日本人。10歳でドイツから日本移住。J-WAVE「STEP ONE」などに出演。