評価書補正版の縦覧

リクエストがあっても反抗的な中川村では縦覧させません

 8月26日に公表されたJR東海のリニア新幹線の評価書最終版(補正版)が8月29日から始まっています。9月の29日まで。長野県の場合、県内の15ヶ所。

中央新幹線(東京都・名古屋市間)に関わる補正後の環境影響評価書の送付、公告及び縦覧について詳細(PDF)

 工事車両の通過で環境悪化の懸念があり道路改良のための測量の説明会を開いている中川村では今回も縦覧は行われません。評価書の補正版は「宣言」で丁寧な説明はするつもりだけれど要望は聞き入れないという姿勢(※)のJR東海さんは地元の住民に対してあくまで挑戦的です。

※「地元市町村と環境協定の締結を、という長野県独自の要請についても、同社の沢田尚夫・中央新幹線建設部担当部長は記者会見で『評価書が世間や住民に向けた宣言であり、それに加えて特段の協定を結ぶ考えはない』と明言した。」(『朝日新聞』8月27日)

 町長が路線も駅もこないのだからもう関係ないみたいなことを言っている高森町では役場で縦覧できるのに。

関心のある住民はそれを示すべき

 インターネットでも閲覧できるので、準備書、4月の評価書はインターネットを利用しました。最終版もそうしたのですが、直接縦覧場所に出かけたほうが関心のある住民が多くいることを行政当局に知らしめることになるから行ったほうが良いという人があったので行ってみました。

フォトモンタージュのサイズは重要

 関心のある景観予測のフォトモンタージュの画像サイズをはかってきました。まず冊子の判型は 298×213mm で、A4判です。本編のフォトモンタージュの画像の大きさは 73×106.5mm (1:1.46)でした。これは小さ過ぎます。資料編にある大きなサイズのフォトモンタージュは 254×365mm (1:1.44)で四つ切ワイドまたはB4相当です。四つ切相当だと、とんでもなく巨大なものが出来るということがはっきりします。

 資料編の「松川橋梁」の写真は 79.5×143 (1:1.80)、「天竜川橋梁」は 47×143 (1:3.04)でした。本編のフォトモンタージュの比率が PDF版の1.43 と少し異なっているようにみえますが、PDF版では 1:1.43〜1.45 程度のバラつきがあって、縦覧した製本版は、スチールの巻尺で、1枚をはかっただけです。1.45 に対して 0.01の違いですから、この差は製本版の計り方によると思います。

 「要約」、「本編1」、「本編2」、「資料編」、「地図」という構成だったと思います。各縦覧場所ともに1セットだけのようです。特に本編は分厚くて、もっと多数の分冊にしたほうが、多人数で縦覧する場合にも便利なはずです。

 わざわざ出かけたかいはあって、「松川橋梁」の写真と「風越公園」の写真が同じ写真ではないことが分かりました。液晶画面ではハッキリしなかった雲の微妙な変化の様子が分かりました(したがって当サイトの関係するページで記述を訂正しました)。また、これらのフォトモンタージュの四つ切判の画像では、ジャギーが目立つものがかなりありました。四つ切判に引き伸ばすことを最初から考えていなかったようです(元の画像ファイルさえあれば、拡大印刷用のファイルはできたはずです)。画面は若干暗めと感じました。他地域のものと比較ができませんが、少なくとも仕上がりが美しいといえる状態ではなかったです。まあ、そういう類のものではないといえばそうですが。

読みにくい評価書

 細かいことですが、資料編の拡大フォトモンタージュのすぐ前のページ。拡大モンタージュの説明がしてあるページにおかしなことが書いてあります(PDFでは気づきませんでした)。

 評価書本編 8-5-1 景観 図 8-5-1-2 及び図 8-5-1-3 で示した完成後のフォトモンタージュについて、実際の視角的印象に近いとされる大きさのフォトモンタージュを図 17-2-1 及び 図 17-2-2 に示す。

 私はこういう文書に慣れていないので、拡大写真は16枚あるのになんで2枚分のことしか書いてないのであろうと思いました。「図 8-5-1-2」というのは「主要な眺望点を扱った部分」のことでその中に写真は(2)〜(9)まであり( 現況と完成後の2枚×9セットの18枚)、「図 8-5-1-3」というのは「日常的な視点場を扱った部分」のことで写真はその中に(1)〜(7)まであります( 同じく2枚×7セットの14枚)。後半の 「図 17-2-1 及び 図 17-2-2」も同様にそれぞれの「図」のなかに複数の写真(完成後のみ7枚と9枚)が含まれるのです。一つの図が何ページにもわたるという、常識的とはいえない方式です。JR東海は評価書のサイズが巨大であることを必要以上に強調しているように思いますが、その上に章や節の段階(階層)が深いので、素人はうんざりです。また文章が、どこを読んでも同じにみえる、「ひながた」があって数値とか語句を入れ替えているだけです。それは正確を第一とする文書ではありがちなのですが、一度に公表される同じ文書のなかでは、普通はそういう部分は表を使うとか、まとめて表現する工夫があるものです。それがないので、文書が無駄に肥大化しているという印象があります。要領が悪いです。これは準備書から共通の印象です。

(2014/09/05)