更新:2018/01/17
"なぜ国や村、JR東海のために個人の生活を犠牲にしなければならないのか。その説明がない"
豊丘村の公民館報「とよおか」の12月20日号のコラム。まえに紹介したのですが、ついでにという感じだったので、改めて紹介します。ものすごく大事なことが書いてあります。
一番最後のほう:
なぜ国や村、JR東海のために個人の生活を犠牲にしなければならないのか。その説明がないまま進められることへの違和感が、残土問題に表れている。
飯田市上郷の北条では、リニアの建設で移転しなくてはならない人達のなかで、「何の説明もない」とか「召集令状が来たようなもの」という声が出ていました。
下伊那郡や飯田市ではリニア中央新幹線の誘致運動は1973年から始まりました。というか、始まったといわれています。つまり地域住民の悲願であることになっています。しかし、リニアが来ればどういういいことがあるのかという点がきちんと説明されているわけではない。リニアが来れば良いことがあるというムードだけのことではないのかと思うのです。
移転しなくてはならない人たち、残土置場による土砂災害を心配しながら暮らさなくてはならない人たち、ダンプの走行で迷惑を受ける人たちが犠牲に見合う利益が自分たちに、あるいは周囲の人々にあることが説明されていなくてはならないはずです。そういう説明はない。したことになっているのですが、納得がいかない。
移転については補償はするけれど土地にしても住居にしても時価。代替地を購入したいのに借地であるなど、行政が斡旋する移転先で希望条件にあうものは少ないし、補償は生活再建に必要な額ではなくあくまで時価。不足分を飯田市やリニア建設促進期成同盟会が補填するという話もない。もちろん住み慣れた場所で生活できなくなるということが一番の問題。やっぱりリニア建設では「犠牲」がでます。
飯田市上郷は以前は上郷町でした。上郷には「ヒヒ退治」の伝説があります。だいたいこんな話です:
- 神社の毎年のお祭りに若い娘を人身御供にしていた
- あるとき白羽の矢がたった家で娘を出さないことがあったら、田畑が荒されて作物がとれなくなった
- 以後、毎年人身御供をささげてきた
- あるとき通りすがりの岩見重太郎という武士が本当の神様ならそんなむごいことはするまい、化けもに違いないといって、娘姿に変装しヒヒを退治した
- それからは、人身御供をささげることもなく村人は平和にくらした
岩見重太郎は諸国を修行中の武士。これはそういう封建時代の話です。封建時代は江戸時代で終わり、近代化が明治以降始まりましたが前近代的な部分も多く残されたままでした。昭和20年以前、戦前は徴兵制があって、天皇の赤子である臣民は召集令状がくれば有無を言わさず戦地へ赴かなくてはなりませんでした。戦争に負けて憲法で「基本的人権の尊重」がうたわれ民主化が進んできたのですが、まだ不十分。合理的で納得のできる説明や説得によらずに、また十分な補償もなく、個人の生活が脅かされることがあってはならないはずです。
JR東海は説明会を開けば、会場からどんな反発があっても、住民の理解をいただいたといってすましてきています。県も国交省も口先だけの指導はしますがJR東海の言いなりです。説明会では、地域の自治会の役員などに動員をかけていたりするので、大半の人は厳しい質問はしません。どころか、動員された人たちの中には、さっさと済ませたいので、面倒な発言に対して「議事進行」などと無意味なヤジを飛ばしたりする人もいます。豊丘村のリニア対策委員会については住民を黙らせるための、あるいは民主的に計画は進んでるというアリバイ作りの「住民対策委員会」だと評する人もいます。
上郷にも、このコラムの筆者のように思っている人はいます。リニア沿線の品川から名古屋の間には直接の犠牲になる人が沢山いて、その中でも、合理的で納得のできる説明や説得によらずに、個人の生活が脅かされることがあってはならないと思っている人がいるはずです。山梨では、昔からここに住んでいるのになぜ立ち退かなくてはならないのだと、測量もさせていない地区もあります。リニア建設には、国民、住民が納得できる理由がありません。今の時代に岩見重太郎に期待するわけにはいきません。自分たちでヒヒ退治するしかないです。