更新:2019/05/23

土石流はどこから

 飯田市を流れる野底川の土石流は天竜川対岸の喬木村伊久間地区にまで達したこともあるそうです。野底川の流れは、幾たびかの土石流によって、風越高校が建つ柏原や、飯田市街地、上郷黒田・別府・南条から矢崎までの地形をつくったそうです。


(グーグルの航空写真を加工)

 土石流がどこから来たのか見に行くツアーがあって参加しました。


上の航空写真の左上の黄色い枠内の地図。A~Eは写真を撮影した場所。

A

 野底川に沿って林道を車を走らせ、途中で左折して野底川の右岸に渡りました。


 地質学者の松島信幸さんの他に長年山で仕事をされてきたTさんの案内です。軽トラの右にある看板に注目と、Tさん。「この区域は山地災害を防止する働きを高めるための施業を行うモデル林です 林野庁 長野県 上郷町」と書いてあります。看板は、上郷町の時代のもの。上郷町は1993年に飯田市と合併しました。だいぶ傷んでいます。


B

 林道をさらに進んで、途中で車から徒歩になりました。長野県が林道の工事をしたところです。


道路をつくったら崩れたの典型です。


同じ場所を反対側から見るとかなりヤバイ場所になってしまったことがわかります(グーグルの航空写真)。「山地災害を防止する働きを高めるための施業」でこうなってはどうしようもないです。環境や安全を守ることについて政治の一貫性のなさを感じます。

 崩れた面には山の中身の一部が見えているはずです。道路との境目に砂がたまっています。雨が降ればすぐ崩れるような感じのところが大部分です。なぜこうなっているのかというのが問題…。もともとの山の中まで風化がすすんだものなのか、大規模な土石が崩れてきた積み重なったものなのか。下の写真の場所は昨年来た時から新たに崩れた場所で、最初の軽トラの写真の左の野底川の岸に取り除いた土砂を埋め立ててありました。




C


この部分は上の方から崩れてきた土石が積み重なったところだそうです。


反対側から見たところ。三つ大きな石が見えます。工事の人は、根が深いので割ったといっていました。タガネの跡が見えました。こんな石を巻き込んで崩れてくるわけです。

D

 林道の工事の終点付近です。山の中に平な場所があります。いわれてみれば不思議です。これも上の方から崩れてきた土石が積み重ねって出来た台地の一部という話でした。




グーグル

(E)

 さらに、小さな沢沿いの道をのぼりました。林の中に大きな石がごろごろしています。大きな石が止まっても、もっと細かな土砂の流れは下へ下って行くそうです。



中津川の山口工区の陥没事故のあった前野沢にも同じような風景がありました。

 ここは風越山の北東約1㎞。この辺りから天竜川までは約10~11キロ。最上流に近い場所から一番下流まで、至る所に土石流の痕跡を見ることができるというわけで、山の上の方の谷だから残土を埋めても安心なんて言っていられないと思います。豊丘村の虻川支流のジンガ洞の残土処分の候補地は天竜川との合流点からやはり10㎞程度です。最下流には北入、上村(かんむら)、林里などの集落、豊丘南小学校、最近できた道の駅「とよおかマルシェ」もあります。