2019/10/02
伊那谷は陸の孤島?
9月23日、飯田市美術博物館の30周年記念講演会がありました。講師は、哲学者の内山節さん。演題は「地域社会の再生と文化」。内山さんは、以前、信濃毎日新聞に連載記事を書いておられました(『山里の釣りから』)。現在、中日新聞に定期的に寄稿されています(『視座』)。"「リニアを見据えて」というスローガンが地域づくりの代用品になっている現状を見直す参考になれば" なんて紹介した手前、聴講してきました。
『信毎』(27日紙面)は、内山さんは文化を「人々に共有された価値」と説明。経済的な発展を重視するほど、地域社会やその基礎となる文化が壊れている現状を危ぶみ「地域づくりを便利さに委ねるのではなく、人々が大事に守ってきた文化を軸に考え直すことが重要」と述べた。
と伝えています。
最後の方で、リニアというコトバが出て来たので、その部分のメモを紹介します。
…価値の共有が生まれて来た時にストックが発生するし、それを文化だと言い直しても構わないのだろう。
これからこの地域をどういう風にしていったらよいかという話になると、飯田の市長さんは知らないが、いろいろな地域の市町村長さんたちは、発想がすごいフロー型だ。どこかの企業が来て、はたらく場所が出来ればとか、飯田のかたたちがどこまで本気か分からないが、リニアの駅が出来ればとか、べつにリニアの駅ができたっていいが、リニアの駅それ自体はストック的な価値はつくらない。できたとしても提供されるのは便利さだけなのだ。どこまで便利になるか知らないが、とりあえず速くなるということだ。便利さというものは、その便利さが必要でなくなったり、もっと便利なものができたりした瞬間に捨てられる。だからストックになり得ない。便利だろうが不便だろうが関係なく、これは大事だというもの、それがストックになる。
新幹線とか、リニア駅に地域づくりを委ねるような発想をしていくと地域はもっと壊れていくと思う。市町村長さんと会うと、この地域は衰退していて過疎化も進んでいるし、商店街はシャッター街になっているしと、それは、経済発展から遅れたから、この地域は落ち込んでいるという言い方をする。これはことごとくウソである。実は日本中が経済発展したのだ。中国では、上海では自家用車を持っていたり、電気製品を全部そろえてみたりしているが、田舎に行くと、最近はテレビはあるにしても、自家用車などは持っている人はいないし、電気製品もほとんどそろっていない、そいうことはちょっと遅れているという言い方ができるが、いま、日本でそういうところはない。どこの家にも電気製品は必要なものは全部ある。車に至っては田舎に行くと1軒で3台位持っている家もある。それぐらいのものができるくらいには、経済は発展した。だから戦後の日本は都市部も経済発展したし、実は田舎も経済発展していて、多少は苦労するにしても、場合によったら、子供が大学へ行きたいと言ったら、ちょっと無理しても行かせるぐらいのことができる人たちがほとんどといってよいくらいに、やはり田舎も経済発展している。
ところが経済発展した結果として、実は都会の地域社会はガタガタになってしまって、ただバラバラになった人たちが住んでいるだけの場所になってしまった。実際、東京だと人が亡くなっても、1割ぐらいの人たちは葬式もないし、つまり死んでも誰も悼まない。社会が劣化してきた感じがする。人が亡くなったときは、知り合いとか、隣近所とか誰かが、手を合わすぐらいできることは人間のつながりから来ることだが、それができないくらいまでに東京では地域社会が劣化した。経済はそれなりに回っているが、経済が回れば回るほど地域社会が崩壊したという感じだ。田舎も同じで、経済発展するにしたがって、田舎も地域社会が、崩壊まではいかないにしても、昔と比べたらかなり衰弱した。この経済発展のしかたでは、ますます社会が壊れるばかりだということを意識すべきだ。
何がいけないか。すべてがフロー型の経済ということ。フロー型経済というのは何かを転がして儲けていくようなことで、そういうものに頼っていった時に、結局ストックは壊されていく。地域社会が持っているストックが壊れる。はなはだしくなれば、祭りもできない、年中行事も何もできない、そういう地域ができるし、地域の文化などはどこにもないという地域ができる。結局、そうするとその地域社会は壊れていく。フローが力をつけるほどストックが壊されていく。それを田舎も都市もみな経験をしたことが、この間の、50年プラス80年の歴史(*)。
* 日本で国民意識が芽生えてきたのは1894年日清戦争以降で、約50年後に敗戦、それ以後の約80年という意味(参考: 内山節、「たそがれる国家(3)」)
だから、もう一度、ストックを軸にして、考え直す。たとえば地域の商店だって、地域社会にとっては大事なストックだ。フローで言えば、売上がないし、利益もないような話になる。だがその店があるおかげで地域の人たちがなんらか助かっているし、地域の人にとっては店の前を通るときに声をかけるだけでも価値がある。そういうもの。そういうものがストックの価値。地域社会にはどんなストックがあるのか、そしてそのストックを守って行けるようにするには、どういう仕組みをつくっていったらよいか、そういう順序で考えていかなくてはならないわけで、それを見つけ出すのがこれからの課題。それを忘れて、フローの方に走ってしまうと、また今までの失敗を繰り返すことになる。ストック中心で地域社会を見直していこうとすると、そこに文化というものが、大きなものとして出てくる。
その文化とは、生活文化的なもの、地域文化的なもの、地域芸能的なものもある。その面では飯田は宝庫。それがあってこそのこの地域ということでもあるし、さらに、菱田春草の絵のように、それが買われてここ(**)に入って大事な絵になっていく、そういうこともまた人々を結んでいく重要な文化。地域の人たちに共有された文化になっていかない美術館や博物館であると、それは、残念ながら地域社会にとって、あっても良いが、それはふだん見れないような絵を見せてくれるというだけのものになって、地域づくりの核にはならない。だから、地域の美術館とか博物館は地域の人たちの共有された価値観を集約していける場所にすることだが、美術館側の人たちだけでもできないので、市民、住民が一緒にどのように地域の核になるような文化をつくっていくのか、そういう共同作業が必要。そういうことができていく時に、それが本当にストックになり、地域社会をつくっていく大きな柱の一つになっていくと思う。
** 飯田市美術博物館
文化という名の付くものがあれば地域づくりに役立つとかいう話ではない。むしろ、文化というものは、価値の共有、みんなして大事にしていこうとするもの、そういうものになっていったときに、文化になる。その点で、ここは、美術館の持っているものというだけでなく、ここにはいろいろな祭りがあったり、しかも非常に珍しいことをやってる地域で、今は幸か不幸か飯田市が拡大されてしまったので、その拡大された飯田市のなかで実に多様な地域文化がある。
リニアの駅が本当にいつできるのか、良く分からないところがあるが、リニアの駅なんかどうでもいいようないいまちが出来ていくことに期待する。
かなりのお年寄りでも、伊那谷は陸の孤島だから、リニアは大歓迎という人が時々います。陸の孤島と思うのは、その人が、東京都や経済とつながっていないとどうにもならないという考えにとらわれているからじゃないかと思います。いや、ひょっとすると、何も考えずに言ってるのかも知れません。それは、明治以降の、そして戦後も一貫する中央集中を是とした学校教育の成果なのかなとも思います。
リニアの向きは東京方面。東京のシンボルはいまだに東京タワー。
リニアの駅で1日6800人が利用するという予測。予測が大きすぎるとか適正だとか議論されています。駅のできる予定の上郷の住民の間では今でも大きすぎるという声があって、飯田市の説明にだれも納得できないようです。内山さんの話からすれば、6800人のことも、地域に大きな効果をもたらすリニア、リニアを見据えて…というような話は、説得力があるとは思えないのです。
ともあれ、「リニア駅に地域づくりを委ねるような発想をしていくと地域はもっと壊れていく」という指摘は心すべきだと思いました。