更新:2020/04/01
県道59号線の様子
大鹿村からリニアのトンネル残土を運びだすために使われる予定の小渋線(県道59号線)の様子を見てきました。利用予定の河川敷の管理道路が未整備のため飯田市の代替地造成に使う残土の運搬開始が遅れています。
3月5日の『中日』が、3日に飯田市が開いた中川村の説明会で3月中旬から飯沼に造成中の移転者の代替地に大鹿村内からのトンネル残土の運搬を始めると説明したと報道していましたが、25日の大鹿村リニア連絡協議会の席上、飯田市は河川敷の道路が使えるようになってから、5月連休明けからと説明。詳細は、『「美しい村」の議員日記』3月26日 "リニア連絡協議会"。
(画面クリックで拡大)(大鹿村の"リニア中央新幹線情報No.44" より)
半の沢付近
半の沢橋から見た、県道59号線の2つのトンネル工事で発生した残土の仮置き場(小渋川左岸、画面の右が下流)。法面に土のうを積む工事をしています。大鹿村の"リニア中央新幹線情報No.44" の地図では「仮」の文字がとれています。半の沢の埋め立てに使うと県やJR東海は言っていますが、地権者の中川村はまだ決めていないようです。最悪このままにするのかも知れません。小渋川の右岸側に河川敷の道路が右手から来て90度カーブしています。
少し渡場方面に行ったところから撮影。土のう(黒いもの)は2種類あるみたいです。
大鹿村の"リニア中央新幹線情報No.44" によれば、「一方通行 (大鹿村→松川方面の車両) ※大鹿方面への車両は現道を利用」の予定。そうすると大鹿方面からの車は半の沢橋の大鹿側のたもと(下画像の黄色い円内)で右折(道路の形としては直進)で進入することになります。やはり右折の松川方面からの端を渡ってきた車とクロスしますが、急な上り坂の途中で一時停止を避けるためとか、なにか理由があるのでしょう。
(グーグルマップの航空写真。たぶん、県道のトンネル工事開始以前の様子。)
半の沢橋の東から下っていく坂道。落石防止の柵を造っています。
半の沢の谷底の道路。道路右側に丸太が積んであります。落石防止策のH鋼にはめるのだと思います。
59号線拡幅工事の看板
「行為の内容」に「現場発泡ウレタン超軽量盛土」と書いてあります。
7号カーブ付近
手前の道路が残土運搬に使う予定の河川敷の道路。3台のクレーンは何の作業をしているのでしょうか? 黄色のクレーンの左側の黒いものは土のうのように見えます。
県道59号線の谷側の斜面の木が伐採してありました。
小渋川を渡るダンプカー。画面左上は土のうを作っているようです。2種類が見えます。写真右下の日付の表示から左に河川敷道路が見えています。半の沢橋から見える左岸の残土盛土はこの道路で下って来てここで川を渡って運んでいました(このページ の この写真)。
柳沢1号橋付近
3月12日に斜面崩落があった場所。柳沢1号橋の東側から撮影。
ここと大林建材までの間に、松川方面だと左側に、昭和22(1947年)年4月に起きたバスの転落事故の「殉難之碑」があります。7名の犠牲者。小渋線のもっと大鹿よりの道路脇の崖の高さに比べたら、こんな場所でという感じですが…。車が転落して乗ってる人が亡くなるにはそれほどの落差は必要ないことは、今も昔も同じのはず。この事故の話を聞かされていたので、子供のころ、岩洞(県道22号線)をバスが通っていたころ何度か乗りましたが、怖かったです。
碑の建立は昭和45年(1970年)10月
大林建材付近
小渋川の上流から下流方向を見たところ。オレンジ色のタイヤローラーの向こう側に県道に登るスロープをつくっています。
上の写真の反対から。ここから左折で県道に合流。