更新:2022/04/24

天地の公道に基くべし、万機公論に決すべし

 『信毎』に掲載の「土の声を」の第4部「夢と現実」がきのうで終わったようです。中間駅の現飯田駅への併設に尽力された当時の牧野市長はコメント拒否。渡辺副市長の迷コメントが出ていました。

 「4月の予定・出来事・ニュース」でも連載1回ごとに簡単なコメントをしましたが、ちょっと忘れていたことがあって、それは、橋山禮治郎さんに関すること。

 飯田市の "市政への提言「やらまいか提言」"。「やらまいか提言」は、牧野市長の時代に始まったのかと思いますが、まだ続いているようです。で、こういう提言 がありました。実はしました。リニア反対の仲間にこういうことで、飯田市に公開質問したらどうかといったら、そういう品の悪いことはしない方が良いと諭されました。それで「提言箱」に投書したんです。

 内容は読んでいただくとして、飯田市の回答のなかに藻谷浩介さんの名前が出ています。藻谷さんも投資銀行勤務の経験があります。数年前(*)、お話を聞いたことがありますが、各地で新幹線が早くできた方が良いと言っているそうです。リニアについてもそうなのですが、そのこころは、交通の便が良く成れば地域が活性するといっている人たちが、現在地域活性化ができないことの言い訳が出来なくなるように、ということだそうです。つまり、そんな姿勢では地域活性化なんかはできないよということ。

* 2018年3月25日。「豊かさとは何か ~住民目線で『リニア中央新新幹線』を考える~」、飯田勤労者福祉センター

 藻谷さんは飯田市に対して飯田駅に併設できない場合は意味がないともいっていたそうです。であれば、飯田市とほとんど関係ない高森町南部をJR東海が駅位置と示した時点で割り切っても良かったはずです。事実としては、得体の知れない新技術の超電導リニアにコロッとなってしまう感性では、そういう割り切りもできなかった。

 牧野さんは投資対象になるプロジェクトの評価についての専門家であるのですが、同じ分野の専門家で、かつ同じ投資銀行勤務の経験があるのに、リニアについて橋山さんや藻谷さんと異なる評価をしていたと思うしかないです。いや、ダメなことは分かっていたのかも知れない。そう考えると、牧野さんがコメントをしなかったこともなんとなくわかるような気がしますが、それって、すごく無責任なことだと思います。

 最近、中間駅の予定地の周辺でこげあとのない空襲のあとのような風景、家の基礎だけが残っているところがふえてきました。そういう姿を見るといっそうリニア推進の旗をふって来られた方たちの無責任さに怒りをおぼえます。

 『土の声を』の第3部で残土処分問題を取り上げていました。同じ時期に、残土処分候補地になっている複数の谷が、「崩落土砂流出危険地区」とか「土石流危険渓流」と長野県が指定していたのに、候補地の協議のなかで、長野県もJR東海もそのことを説明しなかったことについて1面記事として掲載していました。

 4月23日の紙面では、危険な場所と指定されている点について説明のなかったことについて阿智村議会が長野県に抗議した結果、長野県とJR東海が議会に説明をしたという記事を掲載しました(4月23日2面)。リニア推進派にヒビがはいりかけてそれを修復したというふうにもとれます。

 残土の処分地の候補地の選定に当たって、長野県が、自ら危険な場所と指定していた「谷や沢」を埋め立て処分地として情報提供するよう市町村に対して誘導していたと解釈できる文書があったことまで、書いてくれたら良かったと思います。地元との協議の場でなにも説明してこなかったことは、長野県が危険なことを承知の上で谷埋め処分に誘導したといえる根拠になると思います。

 「リニアは昔からみんなでやってきたことだから」ということがいわれるんですが、今の時代、リニアモーターカーの話が始まった1970年台はじめといえば、もう半世紀も前のこと、「五箇條の御誓文」には、「旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし」と書いてありました。東京との交通の便利さに頼るのは「旧来の陋習」だと思います。

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 なんでこんなところに「五箇條の御誓文」があるのかなとは思いますが、グーグル検索のトップに出て来たのは静岡県のページ。明治神宮のページから引用しています。

 「天地の公道」は「何ごとも普遍的な道理に基づいて行いましょう」という解釈が公式見解。いまなら事実に基づいて科学的に検討しましょうよということになるでしょうか。大井川の水の問題についての静岡県の主張ですね。

 リニア計画の進め方が「広く会議を興し万機公論に決すべし」で行われてこなかったという問題もあります。

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