訂正:2023/12/05 工事説明会を10日に行われたと書いていますが、間違いで11日夜行われました。

更新:2022/10/13

鳶ヶ巣沢環境対策事業工事説明会(その2)

説明会やりました、理解を得られました、でいいんですか

 10日の鳶ヶ巣沢の整備事業の住民対象の工事説明の記事が13日付の3紙にのりました。

 12日に報告しましたが、新聞記者さんの見方はまた別のものがあると思います。

 『南信州』は、「説明会を終え両者(大鹿村とJR東海)は『住民の理解を得られた』と判断」と、『信毎』は「終了後、熊谷英俊村長は『理解を得られた』として…」と書いています。

 私は村民じゃないですが見に行きました。座って開会を待っていると、会場に入って来た、おそらく「村民」のかたが、「関係者ばかりだ」と冗談を飛ばしていました。服装を見ても「関係者ばかり」というコトバは納得できるなと思いました。誰が参加していたのかということが問題として一つあると思います。

理解は得られていない

 住民側からは、重要なものとして、下流の大河原中心部の地区に被害が及ぶのではないかと心配する声、専門家が「ここに置くんですか?」という程のアブナイ事業だという指摘、現在の姿はジオパーク的な視点で観光資源だという指摘があったと思います。どれも事業計画について「理解した」といえるようなものじゃないです。ぜひ進めて欲しいという発言はなかったと思います。心配の声に対して、本筋と関係ないしつこいチャチャを入れる方はいましたが。

リニアは頓挫する

 残土置場の問題からは少し離れるんですが、静岡が着工を認めていないことや、ほうぼうで工事が上手くいっていない状況から、リニア計画が頓挫した場合どうするのかという質問に、村長はそうなったら「仕方ない」というしかないみたいな発言をしたんですが、JR東海さんは長野県担当部長が来ていたのに、頓挫するようなことはないといわなかったですね。長野工区のトンネル工事は2026年11月に終わらせたいとはいってましたが、頓挫したらという質問の時には黙ってましたね。

 『南信州』の1面コラムでさえ、2027年の開通は本当に大丈夫だろうか…山梨県長崎耕太郎知事は『全線開通が最も重要』としても、部分開業も想定して準備を進めているという なんて書いているのは、推進派の中でも頓挫するんじゃないかという動揺が起きて広がっているのだろうと思います。

国鉄時代の教訓 = 思いつきはアブナイ

 ところで、JR九州の初代社長を務めた石井幸孝さんが『国鉄 ー「日本最大の企業」の栄光と崩壊』(中公新書2714、2022年8月25日)という本の中で次のように書いています。

 思い付き提案は、技術屋トップからも事務屋トップからも出てくる。巨大な組織が縦割りセクショナリズムになっているので、トップ提案者の系統内だけで面子が固まり、抜き差しならなくなる。早い段階で、専門に近い部署との話し合いでもすれば、筋道が違ってくるに違いない。(p151)
 このような思い付きの発想が出てきても、物事を深く考えて意見を言ったり、机上で簡単なシミュレーション・リサーチ的検討をおこなったりする習慣があれば、うまくいかないこと、取り組むエネルギー・ロスさえあることがわかるはずである。忘れたころに、繰り返し似たような提案が、多くの場合、上層部から出て、格好をつけなければいけないことになり、失敗する。要注意である。(p151)

 さて、JR東海は最初のうち大鹿村内での残土の処分は大変なので小渋線を使って残土のほとんどを村外に運ぶと説明していたと思います。今回もJR東海さんは小渋線に2つのトンネルを新設するなどしてきたでしょといっていましたね。鳶ヶ巣沢の残土置き場計画の場所は、小渋川斜坑の対岸の200mもない近い場所ですが、大規模な崩壊地の直下の川岸であることは一目でわかる。この置き場のアイデアをJR東海が出してきたとは考えにくいです。たぶん、大鹿役場内の誰かが思いついたと考えるの普通だろうと思います。事業主体は大鹿村になっているし。

 村側は住民の安全の事を考えてやるんだと説明していましたが、三六災以降60年間も、リニアの建設が始まるまで、どうして手をつけなかったのだろうかとの疑問もわきます。

 石井さんは、さらに、「鉄道の分野を逸脱した取り組み」として、「フリーゲージトレイン」と「リニア磁気浮上鉄道」を上げています(超電導リニアについては興味深い指摘があるんですが別に紹介するつもりです)。そして、

上に立つ、権限を持ったリーダーが、そのような深い洞察力を持っていないと困ったことになる。わかっているつもりになった、権限を握った偉い人の「これを実行せよ」との鶴の一声に対し、率直な異論を言いにくい組織集団を形成してしまうのも、日本人の特徴である。…思い付き提案の「ご指示」に対して格好だけつけなければと困惑しながら奔走する部下たちの姿…(p161)
…相当な時間と資金を使った後に、失敗だったという事例が結構多い。それを、世間が大目に見るのも日本的風土かもしれない。どんなにコンピュータ時代になっても、今後に生き続ける教訓でもある。(p162)

と。

 熊谷村長の「仕方ない」発言なんかは、失敗しても大目に見てくれるはずを前提にしている。

 満蒙開拓は国策であり、河野村は分村移民を送り出し多数の犠牲者を出したのですが、戦後になって送り出した当時の村長は、それが直接の理由かどうかは不明ですが自ら命を絶っています。ことの大きさが違うと言えば違うのですが、「仕方ないというしかない」というコトバは軽すぎる。

 もし、鳶ヶ巣沢の環境整備事業が村役場内の誰かの「思い付きで始まった」ことなら、やらないにこしたことはない。

本体工事の費用はいくら?

 村として、調査費などこれまでにかかった費用と、今後かかる費用について質問がでて、これまではかかっていないし、今後も他の沢の点検維持作業の費用程度のものしかかからないという説明でした。ところで、盛り土本体や護岸などの建設費用はどれぐらいかかるのか。事業主体は大鹿村なので、村の会計の上では、大鹿村の予算を使って行うはずで、その額にについて説明がなかったと思います。大鹿村が建設費を出費することにして、なにか別の項目でJR東海から入金する形をとるんではないかと思いますが…そのあたり、どうなっているのか?

 大鹿村には実質的にお金の負担がないとしても、建設にいくらかかったかわからないというのはどうなのかなと思います。すべて、施工者であるJR東海がサービス、タダ働きするということなのでしょうか?

 超電導リニアは最初の発想のセンスが悪いので、無理に無理を重ねるかたちの技術になっているという指摘(*)がありますが、鳶ヶ巣沢の架橋整備事業も、最初の発想のセンスが悪いところがあると思います。無謀なリニアをやっているJR東海だって思いつかないような無謀なことじゃないかと。

* "「リニア新幹線:限界技術のリスク」"

 成功するか失敗するかの判断をしながらすすめていくのが技術開発。途中の失敗に目をつぶると限界まで無理を重ねる。それで、大きな損害、社会的な損失につながる、そういう例は多い。たとえばコンコルド。
 センスのよい技術はどんどん協力が広がっていっていろんな人や企業と協力しながら発展して普及していく。失敗する技術は、センスが悪いところがあって、それでも頑張るといって単独で無理をしてだんだん凝り固まって硬直していって最後は衰退していく。

住民側からの崩壊地の直下に盛土した例がこれまでにあるのかという質問に、村側は非常に歯切れの悪い回答をしていました。ようは、そういう例を調べていないのか、ないのかのどちらかだろうと思います。専門家がギョッとするような場所なんですから。つまり、センスが悪いので広がりがない=先例がない。

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