更新:2023/09/12
静岡県の姿勢が国際標準
9月9日の『デモクラシータイムス』の週末のニュース番組、"解散?! ふり返れば、 岸田内閣・裏切りの2年 WeN20230909" の 「③突き放される沖縄」。
辺野古をめぐって、県民の反対の声が大きいのに司法は政府側は段階は踏んで来ているので手続きはできているから問題がないという最高裁の判決についての山口二郎さんのコメント:「最高裁判所の判事ってやっぱり所詮官僚なわけなんです。それで、丸山眞男という学者が、日本の戦争をすすめた体制を無責任の体系といったんだけれど、必ずね、自分には止める権限がないという逃げ口上で間違った政策を止めないというその結果があの戦争の破局だったという論文を書いていて、まさにその権限への逃避がもう日本の裁判所を支配しているということを痛感しましたね」。また、日本の公共事業や大規模な政策は、辺野古や福島原発の廃炉と同じで何年かかるかわからない終わりがない「永久公共事業」と指摘しています。
リニアは認可取り消し訴訟の第一審の判決が出たばかりなんですが、私は、リニアも同じだと思いますね。「権限への逃避」は裁判所だけでなく認可にいたる各段階で関わったJR東海の関係者や政治家や役人や審議委員や地方自治体の首長、議員、職員についてもいえると思います。
認可取り消し訴訟の第一審の判決については:
- 「ストップ・リニア!訴訟」で不当判決
- ストップ・リニア!訴訟・東京地裁判決の報告集会(長野)
- ストップ・リニア!訴訟ニュース第34号
- (速報)リニア中間判決控訴審の最終弁論、8月30日
(五十嵐敬喜さんの2つの講演レジメ)
だから、リニアのような公共事業は戦争と同じようなものという住民の感想は、根拠がないわけじゃない。関連ページ:アメリカのリニア計画はどうなっているか?(4)。
なお、山口さんは『東洋経済オンライン』の "日本に巣くう無責任体質 競技場、財政、安保法制" で、丸山眞男が指摘した、日本における無責任な政策決定の特徴として、(1)「現実を直視せず、希望的観測で現実を認識したような自己欺瞞に陥る」、(2)「既成事実への屈服…後戻りできないとあきらめ、誤った政策をズルズルと続ける」、(3)「権限への逃避。誤った政策が事態を悪化させることを認識しても、自分にはそれを是正する力はないと、自分の立場、役割を限定したうえでそこに閉じこもり、政策決定の議論から逃避する」をあげています。
リニアについていえば:
(1)については、超電導リニアの実用性についてきちんと評価がされていないこと、メガリージョンが出来れば日本が良くなるという妄想、飯伊地域についていえば、中央道の開通で実は痛い目にあっているのに、リニアは千載一遇のチャンスと期待することなど。静岡県が他の沿線の一都五県のように「従順」でないことが予想できなかったこと。環境アセスメント以前の調査・検討が不十分だったこと。
(2)については、1987年の国鉄分割民営化など、止める機会はあったのに止めることができなかったこと。1980年ころまでに超電導磁石の乗り物への採用が不適切なことが明らかになっていたのに、再検討されなかったこと。中国上海で常電導方式が採用されたり、ドイツ国内で建設計画が中止になったとき、「超」がついている超電導の方が優れていると考えていたこと、将来の営業路線の一部として使えるよう実験線を山梨に建設したことなど。
(3)認可取り消し訴訟で東京地裁が原告の訴えを全面的に否定したこと、静岡の問題をはじめ、開業の見通しがあやしくなっても、沿線自治体はリニア関連事業の見直しを考えようとしないこと、工事が行われていない静岡以外では移転とか残土置き場で被害や被害の可能性が日々大きくなっているのに、地域の首長や議員や役場職員が、批判に耳を傾けず、以前と同じ態度でいる。
(3)について、いいかえると、静岡県のありかたが、国際標準で「自治体としてあるべきすがた」だとおもいます。 ⇒ アメリカのリニア計画はどうなっているか?。