更新:2025/03/03 [ 印刷用ページへ ]

もう決まったことだから…

 2月23日、長野市で「2.4事件」をテーマに小樽商科大学の萩野富士夫名誉教授が講演をしました。新聞記事で知りました。「二・四事件」というのは、1933年2月に、長野県内の66の学校で教員200人以上が赤化したとして検挙された事件。教員の職能団体だった信濃教育会(*)が満蒙開拓青少年義勇軍の勧誘に取り組んだのもこの事件の反動といわれます。

 『信毎』の記事は他紙が取り上げなかった萩野さんの言葉をのせています。「(萩野さんは)現代でも『反民主主義』『公共の福祉』を口実とした締め付けは起こりうるとし…(2.4)事件後、県内の教育関係者が『汚名』返上のため満蒙開拓青少年義勇軍などの送出を強化した反省を踏まえ、事件の教訓を学ぼうと企画した」と。引用部分の後半は主催者の企画の意図。

 萩野富士夫さんの『検証 治安維持法: なぜ「法の暴力」が蔓延したのか』(平凡社新書、2024年12月17日刊)の巻末付近に「多数決『民主主義』」という言葉があります。『反民主主義』というのは、多数決で決まったことだから従うべきなのに従わないのは民主主義に反するという意味でしょうね。

 「反民主主義」「公共の福祉」という言葉を載せたのは『信毎』だけです。われわれがこれまで学校で、「『公共の福祉』と『基本的人権』」の関係についてどう学んできたか思いだしてみるとよいかも知れません。「『公共の福祉』を口実とした締め付け」は実際あると思います。

 『信毎』は、2022年1月から6月に「国策民営」のリニアについて『土の声を』を連載、その後、2024年1月から半年にわたって満蒙開拓について『鍬を握る』を連載しました。それで、記者さんは萩野さんの話の中で「公共の福祉」という言葉が耳にとまったのかも知れません。「公共の福祉」を増進する「公共事業」では、「公共の福祉」が「基本的人権」に優先すると判断され、一般にそれは妥当とされるわけで、リニアでもリニア以外の公共事業でもあり得ることです。その事業の妥当性や公益性は抜きにして、いったん決まれば、あとで文句をいうなという感じですね。

 リニアについていえば、工事は各地で計画通りに進まない状況で、2027年の開業などはとても無理で、静岡で着工出来たらそれから10年なんていっている状況です。静岡の工事が10年で終わる可能性はなく、少なくとも15年はかかるでしょうから、今年着工できても、開業は2040年。もう、リニアはできないんじゃないかと思う人も出始めているだろうと思います。市町村はそのあたりを見極めていかないとマズイ状況なのに、飯田市長は、工期が伸びたことで増加する駅前周辺整備事業の費用の一部をJR東海に負担して欲しいなんて言っています。

 リニアの環境影響評価で準備書がでたとき、ルートが正式に発表されたときの市長は牧野市長でした。牧野さんは、政策投資銀行に勤務されており、『必要か、リニア新幹線』で、目的の不明確なプロジェクトは失敗すると、リニア計画を批判した橋山禮治郎も政策投資銀行に勤務していました。お二人の専門家としての見識が同じであれば、牧野市長がリニアは成功すると考えていなかった可能性もあるでしょう。飯田下伊那のほかの首長さんも、リニアに対する批判の声にきちんと耳を傾けていたならと思いますね。前の戦争と同じで、失敗する可能性がある事業はさっさと止めた方が良いに決まっています。

 2015年2月21日、長野県阿智村にある満蒙開拓平和記念館で行われた講座 "ピースLabo.「満蒙開拓から見る国と地方自治」" で元阿智村長の岡庭一雄さんは講演の中で次のようなことをいっていました。

関東軍や加藤完治等計画した者や国策として推進した国の責任は重いものがあるが、それを実行した県庁、村役場の行政機関、在郷軍人会、信濃教育界等の団体の責任も大きいものがある。勧誘の言葉にひかれた個人の責任もある。
しかし、明らかなことは国の指導や、県の指導に基づいてそれを実行したのは町村である。阿智郷開拓団を送り出した村長たちは、情況を正しく把握したうえで決断したのであろうか。戦況は正しく伝えられていたのか、満州の情況は正しく伝えられていたのか疑問の残るところである。
・・・万が一国が、憲法の規定に背いて戦争や基本的人権蹂躙を行うとしても、地方公共団体は従属させられるものではなく、そこの住民が決める方向で対応できることを意味しているのが現行憲法である。

 戦争が終わって80年にもなるのに、県や市町村のリニア推進一辺倒の姿勢は、戦前と同じです。こういう側面も、須田寛さんの「世界でこれだけリニアに投資できる決断が可能なところは、これまでの段階では日本の東海道地域しかなかった…」という言葉、リニア計画が「実行」できることの背景にある。「実現」じゃないですよ、「実現できるはずないこと」でも、「何とかなるさ」で実行できてしまうところがこわいと思いますね。

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下伊那教育会館(1938年竣工 長野県飯田市仲ノ町303-1) ⇒ 「橋北びより」> 教育会館について

* 「教育会」を検索してみてもなかなか適当な説明が見つからないかも知れません。「コトバンク」の解説が戦前の教育会について「1930年代にはしだいに政府の翼賛団体的性格を帯び,戦後にはそのことが批判の対象となって,ついに解散を余儀なくさせられた。全国的組織であった帝国教育会と各地方教育会が果たした機能としては‥‥」と書いています。現在ほかの地方には戦前から続く「教育会」はないはずです。地方の組織だった信濃教育会が現在も存続しているのは、不思議といえば不思議。戦前のことについて何の反省もなくと、一応書いておきます。

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