更新:2021/03/04、2021/03/06 追記、2021/03/17 追記
リニアトンネル予定地付近で飯田線の線路脇が崩落
飯田線の法面崩壊
3月2日、飯田線の伊那上郷駅と元善光寺駅の間で起きた軌道下の法面の崩壊の現場を見てきました。
(写真1)ブルーシートのかぶさっている部分が崩壊。泥水は左側の道路を超えたようです。右側の道路の後方にリニア駅のできる北条地区が見えています。
(写真2)崩壊現場。バックフォーのさらに後方に飯沼踏切があります。踏切の×印の標識が見えています。
(写真3)逆方向から見たところ。リニアの風越山トンネルの入口付近もだいたいこんな感じの地形ですが、そばに新戸川の谷があります。
(写真4)手前に「工」という文字のある標識があります。太さは15cm角。『信毎』掲載の 2日撮影の写真 と比べると、倒れていた電柱は意外に細いです。『信毎』や『南信州』の写真では周囲に電線のようなものが見えません。この電柱は何のためのものだったのでしょうか?
(注)この動画やこの動画でみると、通信ケーブルの端がきていた電柱のようです。
(写真5)崩壊した場所の下の方には民家が何軒もあります。
バックフォーのアームの下に「急傾斜地崩壊危険区域」の標柱がありました。1961年の三六災害のときには、ここから約200m南(伊那上郷方面)でもっと大きな崩落があって不通になりました。
(写真6)飯沼踏切。
(写真7)飯沼踏切から伊那上郷駅方面を見たところ。「65」という標識の左付近が崩壊した場所[ 拡大写真 ]。
(写真8)崩壊場所より北では、土砂災害対策の工事が済んでいます。右側に竜西一貫水路が見えています。
(写真9)崩壊場所(ブルーシート)と土砂災害対策の終端の位置関係。
(写真10)北条地域の道路からみた崩落場所と土砂災害対策の終端。
原因は?
「写真5」を下から見上げたのが次の「写真11」。崩落部分をおおうブルーシートが見えています。
(写真11)
道路面には、茶色の砂がところどころに残っています。
(写真12) [ 道路部分の拡大 ]
近くにお住いの住民の方の話によると、この道路を水が流れてきたそうです。事故後、飯田市の職員が道路上の砂を掃いて片付けていたそうです。
新聞記事には法面崩落の原因についてはなにも書いていません。この辺りでは、いつでも何となく崩落が起こる、何の不思議もないということではないはず。何らかの原因があるはずだし、民家が多数あるんですから、もう少し丁寧な記事を書かれたら良いのかなと思います。
(補足 2021/03/06) 新たに住民の方から聞いた話です。写真7 の線路の右側(山側)にコンクリートの部分が見えますが、その右側が溝になっています。この溝に落ち葉が詰まって水が流れなくなっていたそうです。線路の上を越して流れた形跡はないように思えるので、線路の下に水が通る部分があって、その水で崩れたのではないかとのことでした。写真12の道路にまでかなりの砂が流れてきて、片付けたのだそうです。まだ残っていた状況を写したのが3日の写真です。この方によれば、片付けたのは、JR東海のようです。崩壊した場所の下には墓地がいくつもあり、土砂が流れ込んだ墓地もあったそうです。
現場は盛土
現場の線路が敷いてある場所は、山側に谷があるので、規模は小さいけれど、盛土だと思います。写真4でわかりますが、線路の土手の下に鉄道用地の境界の標識があることからしても盛土だろうと思います。
(地理院地図)
この付近では線路沿いの側溝は山側だけにあります。側溝は小さな谷を横切っています。側溝の位置で谷の底の部分の高さが同じなら谷に降った雨水は側溝へ流れ落ちるはずですが、もともとではないと思うのですが、側溝の山側の縁付近が少し高くなっています(下図)。谷に降った雨水のかなりの部分が地下にしみて盛土の中に入る可能性があります。側溝の水があふれた様子はないようです。今回は盛土部の谷側の縁から崩れていますが、山側の谷の水と関係あるのかないのか。
ただし、JR東海はこの程度の規模の盛土についても管理できないの、といえなくもないのかなと思います。2004年10月の上伊那郡辰野町内、伊那新町駅・羽場駅間でおきた脱線転覆事故も盛土に関連した事故でした(鉄道の盛土の流出事故)。数十万から100万立米も超えるような大規模な盛土について、JR東海が安全に設計、施工し管理できるのか心配とは思いませんか。この現場の直下には民家が何軒もあるので、より規模の大きな崩落が起きると土石による被害のほかに、列車が脱線転覆して斜面を転げ落ちて家屋を直撃する可能性だってないとは言えません。