更新:2021/11/20

対岸の土石流

 豊丘村公民館の館報「とよおか」の最新号「第729号(令和3年11月)」の2ページ。村内を流れる虻川の下流の1961年の三六災害の被害の体験談の聞き書きの連載があります。村民が災害の記憶を体験者から聞いて、今後の防災の参考になるよう文章にまとめるということは、一つの文化的活動であって、その発表の場を提供するのは公民館の重要な役割だと思います。

 この連載に関連して、豊丘村区長会長の北沢貢さんが書かれた "公民館報「とよおか」掲載記事に対する 区長会の見解" という文章が連載の隣に掲載されています。

 まず第一に、区長会長さんの文章、非常におかしなところがあります。「区長会の見解」として「豊丘村区長会としての考えをまとめ、意見します」とあるんですが、「区長会としての意見書」を公民館報にのせることをいつ組織として決定したのかという経緯がまったく書かれていません。読者は北沢さん個人の突飛な意見と受け取ると思います。もっとも区長会が組織として公民館にこの連載の掲載をやめろと抗議した経緯があるとすれば、非常に問題だと思います。そんなこともあったのかなと思わせるところがありますね。

 まあ、対岸の土石流を眺めるという立場なんですが…。

 内容についてみると、北沢さんの指摘の①、②、③ については、リニアを止めてもらうという解決策もあるのに、そこに考えが及ばないとか、④については、JR東海に買い取ってもらうという方針はあっても具体化されていない。⑤については、そもそも長野県には盛土の安全性についてチャックする基準がないこと、その長野県の指示にしたがってJR東海は盛土の設計をしていること、安全対策は結局「地滑り対策」で新たに地滑り危険個所を造成するようなものでもあるわけです。

 「下流域の住民の多くは、JR東海の事業説明会や工事説明会に参加していないのが実情ですので、工事の安全性に関する説明の内容を知らない村民にとって、掲載文の内容のみでは、当然に不安を感じる」といってるんですが、連載の執筆者はほとんどの説明に出席し、JR東海の説明を十分聞いたうえで書いていると思います。北沢さんも説明会のすべてに出席されたうえで書かれたとは思うのですが、北沢さんの言い分も、説明会に参加していない住民にとっては正しいものなのかどうかは判断できませんね。

 であれば、冒頭の段落、記事が偏っているとか大上段にかざしている部分は必要ないはず。個々具体的な問題について論理的かつ科学的に反論をされたらよかろうと思うのです。もちろん、これまで区長会が何回も具体的な論点について論理的かつ科学的な反論を書いて館報にのせて欲しいと要望したにも関わらず公民館が常に没にしてきたという事実があったのかなかったのか…。まあ、それはあり得ない。今回のこの文章がはじめてだったのだろうと思います。

 公民館がこの冒頭の段落をそのままのせちゃったのにはどういう意図があるのか? 私が編集者だったら、この部分をカットするようご提案させていただくでしょう。いい年こいて大人げないことがわかっちゃいますよと。

 内容に関して言えば、やや滑稽にもみえるところ、事実を誤解させようとする意図も見えますね。しかし、豊丘村では、こういう支離滅裂な少数意見が大手をふってまかりとおっているのかも知れないという、公民館からの警告になっていると思います。

 連載の執筆者のかたは、屁とも思っていないと思いますね。

補足 2021/11/21

公民館活動と政治的な意見

 政治的に偏っていると思われる意見を表現したものであっても、具体的にはリニアや谷埋め盛土に批判的、または反対する意見を表現した内容であっても、逆にそれらに反論する意見を表現したものであっても、その議論の場を提供することは、公民館の本来の役割です。現在の公民館は、戦後に、国民の誰もが政治に参加出来る、政治について意見を持つべきという理念に基づいて発足したはずです。

 例えば相模原市のこの文書は、政治参加という言葉は使っていませんが、公民館は単なる貸館的な施設ではなく、地域住民の日常生活に密着して、その課題解決を図るための総合的な社会教育施設であるということを示しています。またその運営は、地域の人々の生活に根ざして、地域住民が主人公となって行われるべきとされ、その意味では住民自治や住民主体の機能と性格を持った施設といっています。

 この区長会長も冒頭で この数年の公民館報の一部にあまりにも偏った記事が目につきます と書きながらも、続けて 公民館(活動)は、学習と交流を通じて住民自治の意識と力量を高めていく拠点として誕生したものです だから一部の意見だけを取り上げるな、公平中立な立場で掲載せよといっています。つまり、そこまで「区長会」の組織として言うのであれば、公民館が、連載への反論の意見の掲載の要望が何回もあったのにその都度受け付けなかったという事実があるに違いない。しかし、そんなことはないでしょう、つまり「盛り土推進派」はこれまで数年ぼんやりしていて気が付かなった。とろくさい話です。常に俺のたちの意見が通って当たり前と思っていた傲慢さがあるんだと思います。傲慢といえば、リニア対策委員会でJR東海の不正に近い行為について事実関係の説明を求める委員の質問を不規則発言でどう喝したりしたわけです(参考)。

環境保全計画から外れた希少種の移植作業は違法採取か?

 なお、移植という保全策は最終手段で、許可手続きなどが済んでいない、工事の実施が確定していない時点で行うのは、やるべきでなく、開発事業に関連して行われる環境影響評価の観点からは不正な行為と言わざるを得ません。本山の保安林の指定の解除が確定したのは2020年12月24日、JR東海が正式な保全計画を公表したのは2019年8月、移植のための採取は2017年4月でした。採取したのは希少種であったので違法行為か否かの判断の対象にすべきものと思います。ということに今頃になって気が付きました。そういえば、移植の事実を把握できていなかった長野県環境部の当時のあわてようは、採取の違法性(希少動植物の採取についての長野県の規制に関して)に思い当たったところがあったからなのかと今になって思います。


2021年12月26日 補足

 豊丘村公民館の公民館報『とよおか』に数年前から『虻川下流域三六災害体験談』という連載記事が掲載されています。

 この連載について、豊丘村区長会が第729号に内容が偏っておりこういうものを連載するのはどうかという批判を掲載しました。

 豊丘村公民館の公民館報『とよおか』の第730号(12月17日発行)の2ページに、区長会の文章に関して2名の村民からの声が掲載されています。

 日下部さんの文章の中に、区長会の文書には「国の認可のもとで」というコトバが繰り返されているが、かっての戦争の経験を思い起こせという指摘は重要です。

 公民館は、戦争を引き起こすような権力者の政治を許さないため国民が政治的な発言が出来るようにするためできたものである以上、具体的な論点で指摘するのでなく、偏っているからというだけの理由で掲載をやめろというのは野蛮な意見です。

 文章のタイトルと内容がかけ離れているという公民館の指摘ですが、タイトルを見て内容がわかるなら、文章本体は必要ないわけでして、そんなものは読むに値しないわけです。その点で、公民館の編集委員会のコメントはナンセンスです。連載の執筆者には、なぜ三六災害の聞き書きをしようと思ったのかという動機があったはずですから、公民館のこのコメントは区長会の意見とかなり近い非論理です。

 区長会の意見も、結局、連載を中止させるという結論になっている公民館のコメントも、どちらもはなはだ異常です。関連ページ:対岸の土石流

 科学的論理的に具体的な内容について反論ができていないのですから、対岸からみれば、区長会の見解は全面的に間違っています。

※ 7月に熱海で土石流災害があってから、例えば、南木曾町や阿智村ではリニアトンネルの残土置場について、中止あるいは再考をという要望が住民自治会とか区(豊丘村の区長会の構成要素の区にあたる組織)から出ています。60年前の三六災害と、リニアの谷埋め盛り土処分について結びつけることと、7月の熱海の災害とリニアの谷埋め盛土を住民が結びつけることは、同じです。豊丘村では沿線でもいち早く、住民が小園の残土置場候補地を撤回させているわけで、それもやはり三六災害での被災との関連がありました。