夜目、遠目、傘のうち ― 景観についての考え方

[1] 景観が悪化する部分が必ずある

 次の写真は、JR東海のリニア新幹線の環境影響評価準備書の主要な眺望点の景観変化の予測に使われた喬木村の「アルプスの丘公園」からの眺望写真、完成予想図です。


画像は印刷された準備書よりも大き目のサイズです(600 x 437 ピクセル)。

 準備書は景観の変化について次のように予測にしています。

 本眺望景観は、アルプスの丘公園内の展望地から北方向の眺望であり、喬木村、豊丘村等の街並みや田畑、河岸段丘、天竜川及び中央アルプスを眺望できる。
 本眺望景観では、伊那盆地を横断する連続的な鉄道施設(高架橋、橋梁)を中景として視認することとなるものの、スカイラインの分断はなく、鉄道施設(高架橋、橋梁)はコントラストを持つ水平線の構成を図ることにより、圧迫感が軽減され、現在の景観と調和のとれた新たな景観となるものと予測する。

 予測地点は高架橋から水平距離で約1,100m、高低差では約80m。上の写真の右側だけを拡大し、高架橋を中心に前景の竹やぶや空をカットしたのが次の写真。画面をクリックすると拡大できます。高架橋と周囲の家々を比べて見てください。この付近で一番高い5階建ての事業所よりもはるかに高いことがわかります。

 景観が激変することは簡単に予想できると思います。どんなにデザインを工夫したとしても、高架橋ができる周辺では景観は必ず悪化するし、「圧迫感」も受けるはずなのです。たとえば、準備書の説明会での質問のなかでも、「説明のなかで、イメージ図等からみて、非常に遠くの人たちは大変景観もいいじゃないか、というような、上手な作り方をしておるかと思いますが、そのほんと直接、建物、建物じゃなくて、工事によってかかわる近所の人たちについては、(中略) 実験線の延長のときに、地元へいってみせていただいたんですが、(中略)やはりその構造物等で非常に哀れといいますか、気の毒なそんな姿をみてまいりました。」という言葉が出ています(参考)。住民は、心理的な圧迫感も景観の問題の一つと考えがちです。しかし、それは間違っているかも知れないのです。

 影響予測の説明についていえば、「コントラストを持つ水平線の構成」という部分はデザインのことをいっていると思うのですが、具体的に何がどうなっているのか説明できますか? 私はわかりません。デザインなど関係なくて、ともかく遠くから見れば小ぶりにスマートに見えるのではないでしょうか。夜目、遠目、傘のうちの、遠目だと思います。

 本当のところをいえば、圧迫感など問題にしていたら、高架橋などできない。そういう、事業者側の考え方と、住民の側の、景観とか圧迫感についての認識とか考え方に、ズレがあるのは当たり前だと思います。

[2] 「日常的な視点場」とは何なのか

 準備書は「日常的な視点場」という調査項目をあげています。それは「地域住民にとり身近な箇所」とされており、そこでの評価方法としては、「日常的な視点場の周辺自体が景観特性をもつため、視点場周辺を視対象と」して「構造物は景観構成要素に含まれるものとして捉え、地域景観との調和及び圧迫感の程度を主として評価する。」としています。圧迫感という言葉が確かに使われています。圧迫感が問題になるような近場についても検討するととらえてしまうような表現だといえます。

[3] 予測地点はどのように選定されたのか

 準備書において景観変化の予測地点はどのように選ばれたのか。準備書、資料編の:視点場の選定のフローによれば次のようになっています。

 「日常的な視点場」として選定された場所を一覧すると:

番号日常的な視点場からの景観の予測地点水平距離種類
01 県道 18 号(喬木村)約300m利用の多い道路
02 小園こども広場(豊丘村)約300m公園/集会所/学校
03 竜東一貫道路(喬木村)約400m利用の多い道路
04 天竜川右岸堤防(飯田市)約300m公園/集会所/学校
05 飯田北部農免農道(飯田市)約300m利用の多い道路
06 中河原農業生活改善センター(飯田市)約200m公園/集会所/学校
07 県道 251 号(飯田市)約400m利用の多い道路

 「日常的な視点場」の対象となりうるのは、準備書の方針に従えば、かなり広範囲なものです。集落、農地、道路、里山といえばきりがありません。豊丘小園から上郷北条の範囲では例えば、集会所とか公園のようなものについては次のようなものがあります。☆印は準備書が取り上げているもの。カッコ内は構造物までの距離。遠い順に並べました。

 準備書が取り上げたのは、1番目と4番目です。なお ◎印の場所は、一部が用地にかかる可能性がありますから景観どころの話ではないかも知れません。ただし、中心線から11m以上離れていたとすれば高架橋を見上げる最悪の環境となるはずです(合成写真によればそうなる)。

 準備書は道路を3ケ所、堤防を1ケ所取り上げていますが、同じ道路上、堤防上でももっと近い場所を選ばずに一番離れた地点を選んでいます。「日常的な視点場」の選定についてはできるだけ遠い場所を選んでいるようにみえます。

 「日常的な視点場」については候補地点を抽出し現地踏査で視認状況を確認して絞込みをしているのですから、その経過、候補として上がった場所のリストと選定からはずれた理由の報告がなければ、われわれは選定された場所の妥当性が判断できません。準備書にはそれが示してありません。

[3b] 一つの視点場からの場面はひとつではない

(この節は、2013/12/02 に補足しました。)

 28mmレンズで写せる範囲は水平方向では、65.5度(ウィキペディア)です。同じ場所から周囲をぐるりと写すには、5.5回シャッターを切る必要があります。実際には6回です。高架橋が180度にわたって見渡せる場所なら最低でも3つの場面が考えられるはずです。

 また、視点場というのは、点ではないので、同じ視点場の中で撮影地点、つまり観察地点とか予測地点を複数選ぶことが出来るはずです。集会所でも遊園地でも他の種類の「日常的な視点場」でもほとんどの場合は面積があるのですから、場面というのは一つとは限りません。

 しかし、準備書では、「日常的な視点場」ではそれぞれを一つの場面で代表しているのに、その場面の妥当性を裏付けるような説明や資料も示されていません。

[4] 予測結果の説明のしかた

 準備書の景観の変化の予測のページは次のようになっています。


画面をクリックすると拡大できます

 上に平成24年8月か9月に撮影された風景、下にその風景に高架橋などを合成したものを並べて示しています。変化の様子を目に見えるようにしているわけです。展望台のようなところから見おろしたような「主要な眺望点」の景観の変化予測も、「日常的な視点場」の景観の変化予測もこの説明の仕方です。使用前と使用後の写真のように非常に分りやすくなっていると思えます。

 しかし、それは本当にそうでしょうか。

[5] 広角レンズの描写の特徴

存在感、圧迫感の表現が苦手

 準備書の写真をみると、手前の道路ばかりが写っています。そして高架橋が意外に小さく写っています。これは、この写真が広角レンズで撮影されているからです。だいたい35mm判フィルムを使うカメラでいえば、28mmぐらいの広角レンズです。広角レンズの特徴としては、例えば写真の手引書にはこんなことが書いてあります。

(広角レンズの)大きな特徴は、やはり広い範囲を1枚の写真の中に入れ込むことができること・・・写したい範囲を網羅できることに加え見た目よりも「広く」写せる効果もあります。しかしその特質ゆえに、手前の被写体は必要以上に大きく、逆に遠くの被写体は実際よりもかなり小さく写ってしまいます・・・(画面の)奥に本来強調したい被写体を置いた場合に、逆に近づかなければその印象は弱まってしまう可能性もあります。(河野鉄平著『写真の撮り方ハンドブック』p138、2008年8月、誠文堂新光社)

 この写真の場合は、「手前の被写体」は道路です。そして「遠くの被写体」が高架橋です。高架橋は画面の奥にあるのですから、近づいて撮影していないのですから「その印象は弱まってしまう」わけです。この写真は高架橋から約400mはなれた場所で撮影されています。

 「日常的な視点場」については、7ケ所のすべてが広角レンズで撮影された写真を土台にして、おなじように現在と完成後の様子をならべて説明をしています。高架橋や橋梁からカメラまでの距離は、200mが1ヶ所、300mが4ヶ所、400mが2ヶ所です。

 広角レンズはカメラを水平に構えないと画面にゆがみが出ます。普通は水平に構えます。水平に構えた場合、28mmのレンズで30mの高さのものを画面いっぱいに写すには、水平にかまえていますから「いっぱい」というのは画面の上半分に対してという意味ですが、約70mに近づく必要があります(注1)。

 「日常的な視点場」の景観変化の予測の説明文の中では次のようなことが書かれています。

 「圧迫感は軽減され」という言葉がないのは、距離200mの中河原農業改善センターだけです(後述)。どの場合も、高架橋または橋梁は「煩雑性の軽減を図ったディテールの工夫、コントラストを持つ水平線の構成により」というように構造物のデザインを工夫することで「圧迫感は軽減され」ていると説明しています。

 太った人でも縦じまの模様の服を着ると少しは細めにみえるというような、あるいは逆に横じまなら太くというように、デザインには法則のようなものがあると思います。だとすると、いちいち現状と完成後の写真を並べなくても言葉だけで説明ができるのではないでしょうか。あるいは、どのデザインが優れているかということなら、違うデザインでの比較がなくてはならないはずです。

 レンズの描写の特徴が原因なのか、デザインによるものなのか、さてどちらの比重が大きいと思いますか。すくなくともわれわれの目の前にあるのは写真にすぎないのです。

 つけ加えると、広角レンズでは、前景にいろいろなものを写しこんで背後の被写体をなるべく見せない方法(傘のうち)や、構図を例えば上下の明暗に区切って中間部にどちらかの色調に合わせた構造物の画像を合成することで印象を弱める(いわば夜目)というような手法も採用できます。そいう手法を用いたと疑わせる写真もあります(県道18号線 中河原農業生活改善センター小園こども広場竜東一貫道路)。

注1:35mm判フィルムの画面サイズは横が約35mmで縦が約24mmです。準備書の写真と同じようにカメラを横位置にした場合、縦の長さの二分の一は12mmに対して焦点距離は28mmですから、被写体の縦の長さと撮影距離の比は、12÷28≒0.429 となるはずです。したがって、30m÷0.429≒69.93mとなります。

[6] フォトモンタージュ手法は見せる手段

 以上の点を考えあわせると。準備書は、根本に景観が悪くなる部分が必ずあることは当たり前という前提で書かれていると思います。しかし、環境アセスにおいて、形だけでも整えるにはどうすればよいか。できるだけ距離の離れた視点場を選んで広角レンズで写真を撮影しそれに構造物を合成する。そして、現状と完成後の写真を並べて、写真の説明をする。ある意見にマッチした写真を選んで短い適切なコメントを添えることで印象操作をするというのはこれまでいろいろな分野で行なわれてきたことですが、それをやっているに過ぎないように、私には思えます。つまりフォトモンタージュ手法は検討の方法ではなくて、写真を見せる手段だったといえるのではないか。

 また、そうやって住民の考える圧迫感についてもクリヤした、煙に巻こうとした。いや無視したといえるのではないかと思います。構造物の直接の近隣に住む人たちを別とすれば、飯田、下伊那とひとくくりにされる地域の住民であっても、離れたところに住む住民には説得力はあるかもしれない。このことは圧迫感に代表されるような景観の問題だけでなく、災害を引き起こす可能性のある環境破壊や工事中の迷惑についての影響予測についてもいえると思います。

 ある事業計画を実行することで、悪影響があるとしても、その事業で住民、国民が利益を得るところが確実であるとすれば、マイナス面を明らかにした上で、正々堂々とその効用を説けばよいはずです。JR東海にはそういう姿勢はないと思います。少なくとも、この景観に関する部分の調査と執筆を行なった人々は事業の意義について確たる信念がないのではないかと思います。そんな事業をこの赤石山脈や伊那谷でやってもらっては困ります。

(2013/11/28)

(補足 2013/12/02)

 環境アセスメントの景観の影響評価に使われた写真についての解説のページを見つけたの紹介します。

(補足 2013/12/07)

 延長された山梨実験線の高架橋と橋梁の写真が次のページに掲載されています。

(補足 2014/03/23)

 2014年3月20日にJR東海に渡された長野県知事の準備書についての意見書の個別事項の15番目に次のような記事があります。

15 景観 準備書において景観の予測に用いたフォトモンタージュは、遠方に存在する構造物の詳細が不鮮明であり、予測結果を適切に把握することが困難である。そのため、写真サイズの拡大、人が構造物を注視する際の視野を考慮するなど分かり やすいフォトモンタージュを作成し、予測結果とともに評価書に記載すること。

「知事の意見(PDF:403KB) 平成26年3月20日通知」